<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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今年も野球界の“風物詩”ともいえる「殿堂入り候補」が発表された。ABC(朝日放送)の人気ラジオ番組「おはようパーソナリティ小縣裕介です」ではリリーフ出身の候補者が入ったことを話題にしていた。
野球、サッカーなど、スポーツの尊さをリスペクトする同番組では、競技者表彰委員会幹事である小縣が中継ぎのリストアップを「分業制の確立」と説明していた。その象徴が、新候補者に挙がった元中日の岩瀬仁紀だ。
実働19年。プロ野球最多1002試合登板、通算407セーブを記録した左腕。03年までセットアッパー、04年からはストッパーだった。「死に神の鎌」と称されたスライダーを武器に、日本を代表するリリーフにのし上がった。
思い出したのは、岩瀬が抜くまで、登板試合数の歴代最多記録保持者だった米田哲也のことだ。阪急ブレーブスで“ガソリンタンク”の異名をとって投げまくった。今でも金田正一に次ぐ通算350勝を誇っている。
17年8月4日の巨人戦(東京ドーム)で、岩瀬はそれまで歴代最多だった米田の949試合登板に並んでいる。その際、米田が口にした言葉はインパクトが強かった。
「おれが1イニング限定のピッチャーだったら、100連投はしてやるよ」
こちらは「ギャグかな?」と思っていたが、本人は真剣だったようで「おいっお前、なに笑ってるんだ!」と叱られた。そこに「先発」という地位に固執した意地とプライドがにじんだものだ。
実際に「投球イニング数」で比較すると、岩瀬の985イニングに対し、米田は5130イニングを投げた。ダブルヘッダーになると、初戦はリリーフ、2戦目が完投、中1日のリリーフで馬車馬のようだった。
「先発完投が信条だったからね。今のようにセーブ、ホールドといった記録もなければ、ストッパーという概念もない。そういう時代だったんだ」
岩瀬のプロ入り当時、中日投手コーチだった山田久志は「一本背負いのような投げ方で、毎日ネットに向かって投げさせた。酒も飲まない。努力の男」と愛弟子のプロセスを打ち明ける。
「リリーフ」が生きる術だった岩瀬と、「先発」に命をかけた米田。日の当たる居場所は異なったが、行き着いた先は“一流”だった。小春日和のある日、久しぶりに“ガソリンタンク”に会った。
「今のピッチャーは球速は出るけど、コントロールに欠けるな。スピードがなくても、制球力があれば逃げれるんだ。阪神の投手が結果を残せたのもコントロールが良かったからだ。投手はそこを追求しないといけない」
野球殿堂入りは、年明けに公表される。新しい名前が候補に浮上すると、かつて野球界を支えた先人の功績と生きざまがスポットを浴びる。それもまた殿堂の意義かもしれない。(敬称略)