南海で活躍の宅和本司さん死去 1年目26勝で最多勝&最優秀防御率 同期に野村克也さん

1954年、南海時代の宅和本司さん

プロ野球、南海で1954年、高卒新人ながら26勝をあげ最多勝、最優秀勝率のタイトルを獲得し、55年には南海優勝にも貢献した投手で元野球解説者の宅和本司さんが4日に大阪市内の病院で肺炎のため死去した。89歳だった。葬儀は近親者で営まれた。

門司東高から54年に鶴岡一人監督率いる南海に入団。同期には野村克也、皆川睦男がいた。高卒新人ながら、54年には60試合に登板、26勝(9敗)を挙げる大車輪の活躍。最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得した。また奪三振も275個でリーグ最多を記録。同年、同じ高卒ルーキーで20勝をあげた梶本隆夫(元阪急)を抑えて新人王にもなった。

翌55年も58試合に登板し、24勝をあげリーグ優勝に貢献した。2年連続の最多勝で、新人からの2年間で50勝をあげた。ただ56年以降は故障なども重なり6勝止まり。60年からは近鉄に2年間在籍したが61年に引退した。実働8年で通算56勝26敗、防御率2・29。

引退後はサラリーマン生活をするとともに、毎日放送で野球解説者を担当。ソフトな語り口で関西の野球ファンから親しまれた。90年には台湾ナショナルチームのコーチも務めた。

◆宅和本司(たくわ・もとじ)1935年(昭10)7月18日生まれ。北九州市出身。門司東高から54年、南海に入団。新人1年目に26勝9敗、防御率1・58で最多勝、最優秀勝率のタイトル獲得、新人王にも輝く。55年も24勝を挙げ最多勝になり、南海のリーグ優勝に貢献。60年から近鉄。61年に引退。実働8年、168試合、56勝26敗、548奪三振。野球解説者を務めるとともに、台湾ナショナルチームのコーチも歴任した。現役時代は177センチ、67キロ。右投げ右打ち。