西鉄で奇跡の大逆転V遂げた中西太氏が病床で力振り絞り、岡田彰布に送った言葉とは/寺尾で候

中西太さん(2020年1月撮影)

<寺尾で候>

日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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夏の終わりにクルージングに興じた。西宮浜から淡路島は洲本に着けた後、パワーランチをして引き返した。台風一過。暦も仲秋になって、ペナントレースも最終コーナーに突入する。

プロ野球史上、最大の逆転優勝は、1963年(昭38)の14・5ゲーム差をひっくり返した西鉄ライオンズ。監督は黄金期を築いたスラッガーで、選手兼任の中西太だった。

古くから「名選手、名監督にあらず」と言い伝えがある。生前の中西は「おれはヘボ監督だった」と振り返るのが決まり文句で、それが1人歩きしていった。

中西の打力は、名将だった三原脩が認めるところだった。大リーグの実力も知り尽くしていた三原が「戦前の怪物が中島治康なら、戦後は中西太」と語ったほどだ。

それに中西のコーチとしての能力に、だれも否定するものはいないだろう。若松勉、掛布雅之、イチローらに一流への道筋をつけた名伯楽。それは山内一弘と双璧だった。

名選手、名コーチだった中西は、監督として名声を得ることはできなかったのかもしれない。だが逆転Vのミラクルを起こした西鉄最後の優勝監督、その張本人だった事実は動かない。

しかも、巨人の牙城を崩すかのように3連覇を果たした西鉄だが、大下弘の引退、豊田泰光が国鉄スワローズにトレード移籍するなど、戦力は大幅ダウンしていた。

チームは7月12日時点で、首位南海ホークスに14・5ゲーム差をつけられて3位だった。南海では野村克也が本塁打、打点の2冠、広瀬叔功が盗塁王を獲得した年だ。

西鉄では3割打者は不在だった。中西が左手首腱鞘(けんしょう)炎、エース稲尾和久も最多勝、最多奪三振に輝いたが右肩痛に襲われるなど、チームは万全ではなかった。

そのモヤモヤしたチームが8月以降に勝ち上がっていく。高倉輝幸が27本塁打、ピッチャーでは田中勉が最高勝率、若生忠男、安部和春らが台頭。二塁を守ったのは仰木彬だ。

勝負は10月19、20日の両日ともWヘッダーの近鉄戦に持ち込まれる。南海はすでに日程を消化した。1つも負けられない西鉄は3勝1分け、最終戦で奇跡の大逆転Vを遂げるのだった。

立場が監督だったときの勝因を、生前の中西は「勝負には時の運がつきまとう。常に相手の弱点に、こちらの長所で付け入ることだ。最後は執念の差だと思う」と打ち明けた。

中西は西鉄、日本ハムの後、80、81年に阪神で監督の座につく。当時の新人が岡田彰布。そういえば岡田監督が現実となる前、中西は病床で力を振り絞っている。

「お前しかおらんやろ…」

短いメッセージは間接的に岡田のもとに届いている。監督も、選手も、フロントも。それぞれが佳境を迎える秋。勝負はげたをはくまで分からない。(敬称略)【寺尾博和】