ありがとう鳴尾浜。阪神2軍が25日、鳴尾浜で行われたウエスタン・リーグのホーム最終戦を終え、同球場30年の歴史に幕を閉じた。ソフトバンクに6-14で敗れたが、スタンドは570人の観衆で超満員。井上広大外野手(23)の“さよならアーチ”などで沸いた。球場や虎風荘やなどの2軍施設は来年1月まで練習などで使用し、3月からは兵庫・尼崎市に建設中の「ゼロカーボンベースボールパーク」に移る。惜別の日に、大山悠輔内野手(29)がプロの礎を築いた「虎の穴」への思いを激白した。
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大山が「鳴尾浜」のワードに足を止めた。甲子園での1軍全体練習後。荷物を抱えながら取材に応じた。鳴尾浜球場のウエスタン・リーグ公式戦ラストデー。「虎の穴」での思い出を聞かれると「全部です」。そこから言葉を紡ぎ始めた。
「やっぱり、あそこから全てが始まっていると思います。寂しい気持ちはありますけど、いろいろ詰まっている場所だと思うので、感謝したいと思いますね」
17年1月6日。白のシャツにネクタイを締め、大志を抱いて虎風荘に入寮した。白鴎大野球部のチームメートからもらったストレッチポールを持参。新人合同自主トレからドラフト1位の挑戦が始まった。初めての関西生活。寮で過ごした2年間も思い出だ。「球場だけじゃなくて寮に住んでいましたし、生活していた分、あそこが家でもあったので」と実感がこもった。
休日は先輩に車で大阪の中心地や神戸を案内してもらった。ショッピングでつかの間のリフレッシュを楽しみ、戦いの毎日に備えた。「住んだのは2年間ですけど、その2年間はすごく濃かった」と懐かしむ。
1年目から1軍で75試合に出場。2年目も117試合に出た。鳴尾浜から甲子園への通勤。約3キロの道のりだが「毎日不安でしたね」と明かした。「最初はついていくのに不安で。その日その日にしっかりやらないといけないというのがあったので」。でも、こうも思う。
「ほとんどが不安な毎日でしたけど、やっぱりあの毎日があったからこそ、今できているところはあるので、それも含めて忘れずにいきたいと思います」
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今季は6月5日に不振では6年ぶりに出場選手登録を抹消され、2軍生活も味わった。約2週間、鳴尾浜で汗を流し、体のキレを取り戻した。新人時代の気持ちを思い出して1軍舞台に戻り、チームのV戦線を引っ張る。
「(若手だった)あの時の気持ちは、これから先、忘れちゃいけない。あそこが原点というか始まり。何かあった時に初心に戻るとかよく言いますけど、その時の気持ちは大事にしたいですね」
鳴尾浜で培った体力、技術が息づいている。泣いても笑っても残り5試合。原点への感謝を込め、最後の戦いに挑む。【中野椋】
◆鳴尾浜球場 所在地は兵庫県西宮市鳴尾浜1の3の9。95年開場。両翼96メートル、中堅120メートルで甲子園とほぼ同サイズ。4階建ての選手寮「虎風荘」に加え、室内練習場も完備。寮など球団の施設が左翼後方にあったことから、ウエスタン・リーグの試合では阪神が三塁側ベンチに入った。
○…今月13日以降に鳴尾浜球場で開催されたウエスタン・リーグ公式戦6試合は、インターネットでの事前応募・抽選による「入場券制(無料)」で運営された。公式戦最終試合となったこの日は、当選した570人のファンで満員。球団マスコットのトラッキー、ラッキー、キー太も来場して盛り上げた。来年1月までは練習などで使用を続ける。今後、練習試合などゲームが組まれる可能性もある。今秋のドラフトで入団する新人選手の入寮も鳴尾浜。2月のキャンプを経て、2軍施設は、3月から尼崎市の「ゼロカーボンベースボールパーク」に移転する。
○…阪神OBの井川慶氏(45)が終球式を務めた。ソフトバンク戦後にマウンドに上がり、捕手役の虎風荘の西口裕治副寮長(65)のミットへストライク投球。「若い頃よく投げていたので、懐かしさを感じました」と感慨深げだった。「(当時のコーチ)古沢(憲司)さんのノックが強烈な印象が残っている。一、二塁間に延々と打たれて。しんどくてつらかったですけど、下半身と気持ちが鍛えられました」。03年&05年のリーグ優勝に貢献できた下積み時代に感謝していた。
<鳴尾浜アラカルト>
◆完成(94年10月7日)西宮市鳴尾浜に、グラウンド、合宿所、室内練習場を備えた「Tiger Den」(虎の穴)が完成。練習場は尼崎市・浜田球場から、合宿所は甲子園球場前からそれぞれ移転した。
◆被災(95年1月17日)阪神・淡路大震災で、施設が深刻な被害を受ける。
◆真弓が入寮(同3月3日)41歳のベテラン真弓が異例の入寮。震災の影響で神戸市内の自宅からの通勤が困難となったため。
◆新庄が正座(同7月23日)2軍練習に遅刻した新庄が衆人環視の中、1時間の正座。この日2軍監督から昇格した藤田1軍監督代行が、厳罰をくだした。
◆初V(98年9月10日)ウエスタン近鉄戦に引き分け、鳴尾浜で初の優勝決定。和田博実監督が舞った。
◆前代未聞の批判ビラ(99年8月9日)助っ人左腕のメイが野村監督を批判するビラを報道陣に配布した。
◆岡田2軍監督3度のV 98年にオリックスから復帰し、打撃コーチを経て99年から2軍監督。鳴尾浜で関本、浜中、北川ら若手を鍛え、4年間でウエスタン優勝に3度導いた。
◆掛布2軍監督 16年から2年間、現役時代の背番号31で指揮を執った。優勝はならなかったが、降格していた大山や横田らの成長に力を尽くした。
◆奇跡のバックホーム(19年9月26日)脳腫瘍のため引退を決めていた横田が、ソフトバンク戦の8回2死から中堅守備で出場。いきなり飛んできた中前打で本塁突入した走者をノーバウンドの好返球で刺し、現役生活に別れを告げた。