<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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新潟県長岡市は、連合艦隊司令長官として、今も語り継がれる山本五十六の生まれ故郷だった。太平洋戦争で火ぶたを切った真珠湾攻撃の奇襲で指揮をとった。
JR長岡駅から越後交通バスで約15分向かった先に「悠久山球場」は姿を見せる。その球場は「蒼柴の杜に悠久の歴史を越え 市民に愛される球場」とうたっていた。
93年(平5)6月12日に開催された近鉄対オリックスでは、イチロー(当時・鈴木一朗)が野茂英雄から、プロ初の右越え本塁打を放っている。今なら決して見逃せない名勝負だ。
「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば人は育たじ」
戦禍に生きた山本の名言は、組織を引っ張るリーダー論に通じる。大リーグへの道を切り開き、そして羽ばたいた先人も、豊かな自然に囲まれた悠久山球場に“足跡”を残していた。
現在は、今年からNPB(日本野球組織)のファーム組織、イースタン・リーグに新規参入した「オイシックス新潟アルビレックスBC」の準本拠地になっている。
04年「球界再編」でファームがイースタン・リーグ7球団、ウエスタン・リーグ5球団の中途半端になっていた。今年からイースタン・リーグに「BC新潟」、ウエスタン・リーグに「はやて223(ふじさん)」が加わった。
プロ野球2軍に参戦1年目のBC新潟のホーム最終戦が悠久山球場で行われたのは9月25日だった。相手は稲葉篤紀が率いる日本ハムで、5対11で勝利を飾ることはできなかった。
BC新潟の球団責任者・辻和宏は「駆け抜けた1年でした」という。初年度の成果を聞いたときに返った短い言葉に、幾多の困難と戦った、ちょっとした充実感がにじんだ。
磐田南高から大体大を経て、巨人振興部に6年勤務した。その後、ルートインBCリーグ新潟アルビレックスに転身し、その流れを受け継いで、今は新生BC新潟でフロントの要職に就いている。
球団職員は14人で、NPB所属の球団にはほど遠い。肩書は「取締役総合営業部部長兼編成部長」。フロント幹部であっても、営業、編成、広報、雑務まで掛け持ちする“何でも屋”をこなした。
「昨年から準備をしてきて、おかげさまでシーズンを終えることができました。NPBから与えてもらったチャンスですが、他の12球団からも見えない手助けをしていただきました。予算なんてあってないようなもので、手探りでした。橋上監督を含めて現場と一緒に作り上げてきたつもりです」
ファーム参入初年度は、本拠地「ハードオフエコスタジアム新潟」をはじめ柏崎市、三条市など県内6球場で計64試合を消化した(33勝28敗3分け)。観客動員は10万人が目標だったが、計7万9825人にとどまった。
上に1軍を保有する球団と違って、資金面、戦力面など、チームを運営するすべてにハンディを抱えている。だが“ふるさとのプロ野球”を理念に、地域活性化、地方創生を目指すという。
「ファームに参加させていただきましたが、まずは興業として成立しないといけないと思っていました。またファンに楽しんでいただくには、ある程度、勝負としてお見せする必要があります。そのためには相手球団にとって手応えのあるチームでないといけません」
プロ野球ビジネスは「勝つ」「儲ける」の両方を求められる特異な事業だ。課題は山積するが、“おらが球団”には夢とロマンがある。辻は「相反するかもしれませんが、勝利と育成を両方達成しなければと思いました」と前を向いた。
(敬称略)【寺尾博和】