<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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数々のタイトル受賞者のお披露目は、シーズンオフの風物詩といえる。なかでも注目したのは、中日外野手としてプレーする岡林勇希。自身2度目の最多安打を記録した23歳が立派だったのは、12球団でただ1人、全試合フルイニング出場を果たしたことだった。
おそらくシーズンを通してベストコンディションで臨めたわけではないだろう。最近の試合出場の可否は、監督、コーチ以上にメディカル的な見地に立ったトレーナーの権限に委ねられるケースが多いから、なかなか万全での選手起用は難しくなりがちだ。
長いペナントレースでシーズン143試合を“完走”するのが容易でないのは、セ・パ両リーグで唯一という存在が物語っている。しかも自己最多168安打をたたき出し、第54回三井ゴールデン・グラブ賞(4年連続4回目)にも輝いた。
岡林の出身校で、菰野高(三重)野球部監督・戸田直光も「わたしが想像した以上の選手に育ってくれました」とうれしそうだ。同校を甲子園に3回(春1回、夏2回)導いた指導者は、西勇輝(阪神)をはじめ投手を育てることで定評がある。実際、岡林も高校時代はピッチャーだった。
当時は、岡林の2年上に兄・飛翔(つばさ)、1年上に田中法彦(いずれも元広島投手)が在籍した。戸田は「飛翔が球速151キロ、田中は152キロ、勇希は153キロが最速でした。50メートル走も5秒8か9で、もっと強豪校に行くことができたのに、うちにきたのはお兄ちゃんの影響だったと思います」と言う。
「わたしはピッチャーでプロにいってもらいたかったし、本人もそのつもりでした。でもドラフト指名後、高校に挨拶にきた中日スカウトから『うちでは打者でしか考えていません』と説明を受けた。はなからピッチャーとしては考えていなかったようですね」
与田剛が監督だった中日は、ドラフト1位で内野手の石川昂弥(東邦)から計7人(育成含む)を指名したが、そこに外野手の名前はなかった。戸田は中日サイドから「まだ外野転向のことは本人に言わないでください。こちらでうまく導きますから」と説明を受けたという。
プロ3年目の22年に最多161安打を放って、初タイトルを手中に収めた。外野手のレギュラーに定着した年で、高卒3年以内ではイチロー(オリックス)以来の受賞。その意味では投手から野手転向で成功した顕著な例だった。
今季も低迷する中日のトップバッターで113試合、2番で1試合、3番で27試合、7番で2試合に出場し、打率は2割9分1厘だった。ポジションはすべてセンターだった。さらに戸田は「ホームランは5本も打った」と長打力もついたと言いたげだ。
メジャー組がそろえば、WBC大会の本番で日本代表メンバー入りは難しいかもしれない。だが人選までに何が起きるかわからない。戸田が「人の言うことに左右されない。信念を曲げない。年齢を考えればまだまだ伸びしろがある。故障さえなければ、さらに飛躍するぞ」と胸を張るから、一応うなずいておいた。(敬称略)