「長嶋茂雄追悼展」日本橋高島屋で開幕 巨人OBの原辰徳氏らトークショーでミスターの思い出語る

長嶋茂雄さんとの思い出トークで盛り上がる、左から元木氏、原氏、斎藤氏(撮影・丹羽敏通)

昨年6月に89歳で逝去した長嶋茂雄巨人終身名誉監督の軌跡をたどる「長嶋茂雄 追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号3」が18日、日本橋高島屋で始まった。

会場前に巨人OBの原辰徳氏、斎藤雅樹氏、元木大介氏によるトークショーが行われ、ミスターの生涯を振り返った。

原氏が思い返すのは、巨人入団が決まった後。前年までで退任が決まっていた長嶋氏との対面機会だった。「なぜかその時、たぶん当時の藤田監督とお話をされていたと思うんですが、僕をね、二塁をやらせるということを言われたんです。僕はセカンドなんて全くやる気がなかったんですよ」。ただ、しきりに「二塁」という言葉を連発してくる長嶋氏に、「最後に『僕はジャイアンツでは二塁なんですか』と質問したのをよく覚えてます。そしたら、あわててミスターも『いやいや、そういうことを言ってるんじゃないよ』というね」と懐かしんだ。

斎藤氏が振り返るのは、国民的行事と言われた「10・8決戦」。94年10月8日、ナゴヤ球場での中日対巨人のペナントレース最終戦。2番手で登板した斎藤氏が5イニングを抑えて勝利投手になり、巨人が6-3で勝利し、リーグ優勝を果たした。

試合前、名フレーズが生まれた。「勝つ! 勝つ! 勝つ!」。斎藤氏は「不安もあったんですけど、3回くらい言われたんです。『最後にもう1度言う!』と言って」と、「勝つ」×3回ではなく、勝つ×3回が幾度も繰り返されたと明かした。

元木氏と言えば「くせもの」の愛称。長嶋さんが名付け親だった。「試合終わって記者の方から『監督がくせものと呼んでます』と。僕、さっぱりわからなくて。それが(新聞の)1面に出て、それからずっとですね」と懐かしんだ。ワードセンス、ネーミングセンスでも飛び抜けたミスターの逸話だった。