<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
◇ ◇ ◇
演歌界の大御所、鳥羽一郎の長男・木村竜蔵と次男・木村徹二のコンサートを観賞した。山川豊を叔父にもつ音楽一家。竜蔵はシンガー・ソングライターとして活動、徹二は22年に演歌歌手デビューした。
都内で開催された会場には、魂がこもった歌声が響いた。兄弟デュオが歌い上げる所作からは、厳しくしつけられた血筋が伝わってくる。その熱い人間っぽさが心にジンと伝わってきた舞台だった。
先日、現役時代は南海ホークスの名内野手で、近鉄バファローズ監督を務めた岡本伊三美の訃報が報じられた。そこで思い出したのは、生前の岡本が「オノちゃん」といって頼りにした人物のことだった。
近鉄に在籍したのは、人間味あふれた小野坂清というフロントマン。2軍マネジャーを経て、1軍でマネジャーとマスコミ対応の広報を兼任。現場記者が小野坂を慕ったのは、取材陣に寛容だったからではなかった。
大鉄(現阪南大高)でセンバツに出場した1960年は、同期で本格派だった伊藤幸男(近鉄、阪神)の控えのサウスポーだった。1年下には、球界を代表するスラッガーになる土井正博がいた。
ノンプロの不二越鋼材(後に不二越)でプレーした後、近鉄入り。実働5年。89試合に登板し、3勝5敗の現役生活だった。フロントに転身し、1軍でメディア対応の仕事をこなすことになる。
主にチームの情報発信をする「広報」のポジションは、現場とメディアをつなぐ“スポークスマン”であるのが望ましい。どちらかに偏りすぎるのは理想的とは言えない。小野坂は現役上がりだが、選手にも厳然としていた。
都合の悪い記事を書かれると「出入り禁止」にする球団もあるが、その事情はさまざま。業界を知らない素人同然なのに、マスコミを「臆測」と十把ひとからげで決めつける場数に乏しい幹部もいる。
なかなか取材する側とされる側が交わるのは難しい。だが球団の核心に触れたニュースにも、是々非々の小野坂から「書いてほしくない」とお願いされたことはあっても、「書くな」と言われことはなかった。
チームに負けが込んでくると、必然的に厳しい論調が多くなる。時代をさかのぼるほどマスコミも荒っぽかったからよく対立した。監督の盾になる一方、監督の真意について理解を求める役目も担った。
それでも食い下がる記者には、遠征先で食事に連れ出されて説明を受けるケースも度々だった。関西でプロ野球を取材するマスコミの間で、人柄がにじみ出た小野坂の存在を知らない記者はいなかった。
ポスト岡本として近鉄監督に就いた仰木彬も、「オノちゃん」には全幅の信頼を置いた。ちゃんとまともに取材をしている記者は認めたし、なにより“中立”だった。丁々発止でやりとりができたスポークスマンだった。
すでに仰木マジックを陰で支えた小野坂は鬼籍に入ったが、名監督の裏には、名広報ありと言えるのかもしれない。少なくとも長いシーズン、黒衣の存在もチームに漂う雰囲気を左右するのは確かなようだ。(敬称略)