大洋(現DeNA)で球団創設初勝利を挙げた今西錬太郎さん(いまにし・れんたろう)が6月28日午後10時59分、老衰のため死去した。101歳だった。大阪府出身。通夜、告別式は家族葬で執り行った。喪主は次男永治(えいじ)さん。
晩年も記憶力がよく、野球の話が好きだったという。ジャイアンツキラーだったこと、浪商時代は1点差で負けて惜しくも甲子園に行けなかったこと、大洋では球団社長にかわいがられてよく家に呼ばれていたことなど、周囲に思い出話をしていた。2019年クライマックスシリーズのファーストステージDeNA-阪神(横浜スタジアム)で始球式をしたのが、公の場に姿を見せた最後になった。
大阪・浪華商(現大体大浪商高)から日鉄二瀬を経て46年に阪急(現オリックス)に入団。右のアンダースローで、川上哲治から「カミソリのよう」と言われたシュートが武器で、47年から2年連続20勝以上をマーク。47年は巨人から9勝を記録し、巨人キラーと呼ばれた。2リーグ制となった50年に、新球団の大洋に移籍し、球団の開幕戦で完封勝利を挙げた。53年に阪急に戻り、54年から東映(現日本ハム)でプレー。55年に現役引退した。プロ通算成績は315試合登板、88勝102敗、防御率3・23だった。
56年に東映コーチを務め、高校野球でも東京・佼成学園高監督として66、68年の春、74年夏と甲子園大会に導いた。