プロ野球、中日の元投手で、引退後は野球解説者のほかタレント、司会、俳優など多彩な芸能活動を続けていた「板(ばん)ちゃん」の愛称で親しまれた板東英二氏が22日に慢性心不全のため死去したことが28日、分かった。86歳だった。満州生まれ、徳島県出身。
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持ちネタのひとつだったんだろうか。板東さんが開口一番、野球の話を持ち出した。「私ね、牽制(けんせい)が得意だったんですよ。打たれる心配なしにアウトひとつ取れる。打者に投げたら、よう打たれるんで」。プロ野球通算77勝65敗の右腕が自虐ネタで笑わせた。
ただし高校野球はネタにしなかった。「だって自分の3年間を振り返って『楽しかった』なんて絶対に言えませんもん」。
58年、春の四国大会決勝(高知)を戦い終えたその日、途中駅のホームで夜明けを待った。延長25回、5時間27分。262球を投げて高松商に敗れたあとだ。「試合後の移動で池田高校のある阿波池田までは戻ったんですが、その先の徳島行きは列車が出たあと。ベンチで寝て、朝一番で帰りました。その日もいつも通りに練習しましたね」。
準決勝(対高知商)では延長16回を投げていた。この連投が、18回打ち切り規定のきっかけとなった。同年夏の甲子園で、自ら適用第1号に。再試合となった魚津戦がそれだ。「ナイターになって涼しかった。練習中に飲めなかった水も飲めたし、疲れはなかった」と振り返った。
中日入りする前から右ヒジに痛みを抱え、入団10年目に手術。翌年、ユニホームを脱いだ。「手術したあとも伸びないんですよ」。シャツをたくし上げた右腕は、曲がったままだった。
タイブレーク制の採用が話題になったとき、テレビ局の楽屋に押しかけ、話を聞いたことがある。「白黒つけたいなら、じゃんけんでもいいんです。選手の健康を大事にするなら、甲子園だけでなく、地方大会から肩、ヒジの検査をやらないと」。
板東さんは地方大会の真っただ中、生涯を終えた。因縁だろうか。「笑いのとれる元プロ野球投手」は、高校野球には笑い抜きで、その思いを語ってくれた。【米谷輝昭】