日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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今夏も東京・麻布十番の納涼祭りを楽しんだ。メイン会場のパティオ広場近くで興じていると、6月2日に死去したガッツ石松(本名・鈴木有二)の一人娘、佑季とバッタリと出くわした。
芸能界に身を置く佑季だが、最愛の人が亡くなった際も、まったくメディアに露出がなかったので気になっていた。久しぶりの再会はサプライズで、まずは丁重に哀悼の意思を伝えたつもりだ。
1974年(昭49)4月11日、ロドリゲス・ゴンザレス(メキシコ)との一戦で王座を奪取し、ガッツ石松がリング上で小さい子供を抱き上げた。それが愛娘の佑季だった。
「今は許されているみたいですが、当時あれがボクシング界で初めて女性がリングに上がった瞬間だったようです。でもわたしは幼かったから全然記憶にないんです。母親と亡くなった後の反響の大きさに『パパってすごい人だったんだね』と振り返っているんです」
最期は父親の手を握りしめながら、耳元で語りかけ続けたのだという。「まるで眠るように逝きましたが、わたしは手を握りしめていることができました」。それが速攻で有名な“幻の右手”だった。
それに「本当はプロ野球選手にあこがれたみたいですよ」と聞いたのは初めてだった。
「野球選手は金持ちのお坊ちゃまがやるもので、うちは本当に貧しかったからグラブも、バットも買えなかった。パンツ一丁でやれるからと、ボクシングの道に進んだと聞かされました。野球もテレビで見てましたが、ひいきのチームはなかったと思います」
栃木県清洲村(現鹿沼市)で4人兄弟の次男として生まれた家庭は貧乏だった。ケンカが強い不良少年だったから、近くの畑から野菜、果物が盗まれると「あいつだろ」とぬれぎぬを着せられた。
中学時代に必死にバイトで稼いだ金は生計の足しにと母親に渡し続けた。中学を卒業して15歳で上京する際、せめてもの生活費にと母親から差し出されたのは、自分があげていた泥のついた千円札。家計が苦しくても、母親は息子からもらったお金に手をつけずにいたのだ。
ジムから「ガッツ」のリングネームをもらった男が、世界王者にのし上がったのは「見返してやる」といった強烈な反骨心だったのだろう。それと「おふくろのために」という一心…。
都会に出た少年は、プロボクサーとして世界の頂点に立って、タレント、俳優としても才能を発揮する。テレビ小説「おしん」、国民的ドラマ「北の国から」に出演し、ハリウッド映画「ブラック・レイン」で高倉健、松田優作らとともに名演技で話題になった。
「まったく人に興味がない父親でしたが、ブラックレインで、マイケル・ダグラスさんにパスタの食べ方を教えてもらったってはしゃいでました。家ではテレビを見ていて、何か気付いたことがあるとメモしていたし、興味をもった新聞記事は切り抜いていました」
バラエティーで「OK牧場」のギャグを披露するなど、天然ぼけで知られたが、その裏では人知れず努力を積み重ねたのだろう。サクセスストーリーを演じた偉大な父親を「わたしたちが貧しい思いをしなかったのは、父のおかげです。またお別れの会で…」と言う。
ちなみに、佑季に寄り添った息子りくは、ボクシングではなく野球が大好きで、阪神サトテルのファンだという。男前のダンナは巨人ひいきだから、勝負師の熱い血が流れるファミリーでは今、王座争いがまっただ中なのだ。(敬称略)