<巨人5-3中日>◇10日◇東京ドーム
巨人ライデル・マルティネス投手(29)がNPB史上6人目の通算250セーブを達成した。外国人選手で名球会入りの条件をクリアしたのは元巨人などで活躍し、日米通算2000安打を達成したアレックス・ラミレス氏(51)以来、2人目となった。
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人生初の飛行機に揺られて、20歳のマルティネスは太平洋を渡った。「乗るのが怖いなあ」と臆しながら、キューバから日本へ。WBC代表として予選ラウンドのために来日し、その後は中日に育成選手で入団が決まっていた。「全てが速いな…」。球速ではない。降り立った日本で目にするもの全て。「せかせかしてる。電車とかもそうだし」。取り残されそうだった。
17年4月8日の入団会見。「日本の野球は世界一のレベルにあると思う。たくさん学んで役に立ちたい」と誓った。家族と初めて離れ、耐えられないと感じる毎日だった。例えば食事。うどんもそばも「ちょっとこれは食べられない…」。
何度も「帰りたい」と心の奥でつぶやいた。
不安しかない1年目だった。8歳で始めた野球。「キューバの各地区で教えてくれるコーチやおじさんがいて。興味ある子や上手な子を集めて、練習をしたり。そういう中で自分も始めた」。投手に専念したのは「13、14歳」の頃。それからまだ6年ほど。異国で、白球と生きていく覚悟が揺らぐ毎日だった。「日本で成功する目的を持って来てるんだから、しっかり頑張りなさい」。その度に亡くなった祖父母がそばにいて、そう励ましてくれるように感じた。感じないと、生き抜けなかった。
転機は2年目、18年の春だった。「もっと自信を持ちなさい、自分のボールに」。声をかけてくれたのは当時の森繁和監督。「スプリットを自分のものにしなさい」とも諭された。制球力に難ありと悩んでいたが、信じてくれた。翌19年に就任した与田剛監督には先発から中継ぎ、そして抑えへの転向を提案され、同じように「自信を持ちなさい」と背中を押してくれた。
守護神という重責。それからは「疲労回復」が生活の中心になった。「正直、休日も比較的家で過ごしてリカバリーに専念することが多いです」。ベッドに横になって、テレビを見るのが一番リラックスできる時間だ。家族もインドア派を理解してくれている。
日本に住んで10年。大リーグへは「挑戦したいなと思う時もあります」と明かす。ただ、「日本で野球をするのが大好きですし、米国でプレーすると家族と会えなくなるリスクがすごくある」。体を休める、そのそばで夫人、子どもの声を聞く。その時間こそを何より大事にしている。
「自分が一番だ」。どんな強打者を前にしても、積み重ね続けた自信は揺るがない。9回を制し続け、日本が第2の故郷になった。【阿部健吾】