<オリックス-ソフトバンク>◇17日◇京セラドーム大阪
ソフトバンクが優勝マジック2でオリックスと戦う。前身の南海時代の本拠地、大阪でホークスが歓喜の瞬間を迎えるのか。移りゆく時代の流れに応じて、チームが南海→ダイエー→ソフトバンクと変わっていった歴史を振り返ってみる。
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阪急、近鉄、南海、西武、阪神と鉄道会社が5球団を持っていた時代。88年9月に、親会社の南海電鉄が南海ホークスをダイエーに球団譲渡すると発表した。野村克也らを擁し、12度のリーグ優勝と2度の日本一を誇った西の名門球団だった。94年の関西国際空港開港を控えた大阪・難波(なんば)地区の再開発に力を入れ、チームの低迷で閑古鳥が鳴く不採算球団の売却を検討していた。一方で大手スーパーのダイエーは福岡再開発事業の目玉として球団を保有し、アジアも視野に入れた商業圏の拡大を目指していた。この時、南海側は「ホークス」のチーム名を残すことや杉浦忠監督の留任、選手や首脳陣、球団職員は希望者全員を連れていくことを条件とし、ダイエー側もそれを承認した。10月15日の大阪球場ホーム最終戦で杉浦監督が「(立大同期の)長嶋(茂雄)君が引退するときに『巨人軍は永久に不滅です』と語りましたが、ホークスは不滅です。行ってまいります!」とスピーチして福岡に旅立った。
ダイエーは王貞治監督のもと、3度のリーグ優勝と2度の日本一を果たした。だが、親会社が経営難に陥っていた04年11月、豊富な資金力をもつ情報通信大手のソフトバンクが買収を発表。孫正義社長は「ブランドイメージが浸透し、認知度が高まれば、経営的には大変なプラスになると考えている」「インターネットはプロ野球のビジネスモデルにもっとも有効な手段」と買収理由を説明した。本格的に携帯電話事業に乗り出そうとしていた時期で、ホークスに広告塔の役割も期待。その上で「ビジネスというだけではなく、スポーツを愛する気持ちで夢のある球団にしていきたい」と球団経営への情熱を明かし、「人格にあふれ、子どもの頃から尊敬している」という王監督に「新生ホークスの事実上の創業者としてやってほしい」とGM兼任を要請した。球団の経営ビジョンは「強くて勝てるチーム」。25年までの21年間でリーグ優勝8回、日本一8回という強力なチームをつくりあげている。