【とっておきメモ】オリックス山田修義「僕は救われた」月間最多登板がプロ生命“延命”の転換点

オリックス山田修義(2026年7月撮影)

オリックスは24日、西野真弘内野手(36)と山田修義投手(35)の今季限りでの現役引退を発表した。同時に2人の引退セレモニーを26日の日本ハム戦(京セラドーム大阪)の試合後に行うことも発表した。

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「おかげで今も投げられているんですよ」。昨オフの11月、オリックス山田修義投手(35)はそう明かしていた。18年にNPBタイ記録の月間最多18登板。左腕を語る上で欠かせない記録だが、プロ生命を“延命”させた出来事だったという。

プロ8年目の18年8月に達成した。その1カ月間は「ノブさん」一色。記者が大学1年の時にいちプロ野球ファンとして見た偉業だった。木枯らしの吹く昨年11月の大阪・舞洲。当時の話題に触れると、山田は真剣な眼差しで振り返ってくれた。

18年は5月まで2軍で先発登板。しかし「(指導者から)『先発はクビ』と言われたんです。自分は『このまま行ったら、クビになるわ』って」。

18年は6月下旬から2軍で中継ぎとして本格始動。コーチ陣とも話し合い、急ピッチで調整した。以降は11戦中10戦が無失点と結果を残すと、1軍昇格のチャンスが巡ってきた。

その後、8月に1956年の稲尾和久(西鉄)に並ぶ月間最多タイの18試合登板。当時、SNSでファンが山田の「登板カレンダー」を作成し、次第に偉業達成に近づく日を待つようになった。球団が販売した達成記念グッズのTシャツはカレンダーのデザインを用いていた。

「でも、あれで僕は救われたんです」。8年前、自らが案じた“クビ危機”以後は中継ぎで定着。17年間のプロ生活を振り返るに欠かせない転換点だった。【中島麗】