「世界の王」も巨大な助っ人候補にびっくりだ。ソフトバンクの入団テストに参加している身長216センチのローク・バンミル投手(29=レッズ傘下3A)が13日、初のブルペン投球を披露。ネット裏で見守った王貞治球団会長(73)は「馬場さんより角度があるね」と、かつてのチームメートであるジャイアント馬場こと馬場正平投手と比べて評した。大きな体で、大きな戦力となるか?

 45球が、未知の高さから投げ込まれた。216センチ男のバンミルだ。スライダーは荒れていたが、直球とチェンジアップは、打席で誰も経験していないだろう角度で低めに集められた。ネット裏から見守った王球団会長の大きな目が、自然に細くなる。「デカいね。角度がある。馬場さんよりも角度がある」。例としてあげたのが、巨人現役時代にチームメートだったジャイアント馬場(馬場正平投手)だった。

 バンミルの投球で、54年前の思い出がよみがえったのだろう。王会長がプロ1年目の59年2月。初めて宮崎で巨人が行ったキャンプで、王会長は馬場さんとフリー打撃で“対決”した。「町の中にあった宮崎の古い方の球場(宮崎県営球場=01年に閉鎖)だった。当時はよく投手がフリー打撃に投げていたのでね。馬場さんはそんなに角度はなかった」。馬場さんは巨人時代200センチで登録されていたが、上手投げよりも少し腕を下げ、スリークオーターに近い格好で投げていた。脳天唐竹割りとばかりに?

 上から投げ込むバンミルの角度に驚くのも無理はない。

 さらに、王会長が最も評価したのが「落差はないけれど小さく落ちていたね」と話すスプリット。140キロ台で鋭く落ちる。バンミルも「三振を取りに行く球」と自信を持つウイニングショットだ。王会長は馬場さんの印象を過去に「キャッチボールでも球が重いのが分かったよ」と話していたが、こちらは変化球を巧みに操る器用さも併せ持つようだ。

 15日と19日の実戦形式での登板で実力を判断されるが、この日のノックも無難にこなした。「(ブルペン投球は)9割の力、だいぶ強めに投げました。腕の振りはよかったが制球が定まっていないところがあった」とバンミル。14歳で201センチと大台を突破したオランダ出身の右腕。日本球界で史上最長身選手誕生なるか、注目が集まる。【石橋隆雄】

 ◆主な長身選手

 過去の外国人選手ではヒルマン(ロッテ、巨人)とターマン(横浜)が208センチで最も高い。日本人選手の2メートル以上は馬場正平投手(巨人)だけ。馬場さんはプロレス時代に209センチだったが、巨人時代は200センチで登録。現役最長身はミコライオ(広島)の205センチ。今季の日本人では南(ソフトバンク)の198センチ。大リーグの歴代最長身は211センチのジョン・ラウチ(オリオールズFA)。「ビッグユニット(巨大な物体)」と呼ばれたランディ・ジョンソン(元ジャイアンツ)は208センチだった。ちなみにバンミルの216センチは、今季の日米両球界(マイナー含む)で最長身だった。

 ◆投手馬場

 三条実(現三条商=新潟)を2年で中退し、1955年(昭30)1月に巨人入団。支度金(契約金)20万円、初任給1万2000円。56年に2軍で12勝を挙げ、最優秀投手。57年は8月25日阪神戦(甲子園)でデビューし、1回無安打無失点。10月15日阪神戦(後楽園)でも1回無安打無失点と好投すると、消化試合の同23日中日戦(後楽園)に初先発。5回5安打1失点と好投も初黒星を喫した。投げ合った中日杉下は200勝達成。眼の病気とひじ痛を発症し、59年限りで解雇。60年に大洋(現DeNA)にテスト入団も、キャンプ中に風呂で転倒した故障が原因で引退。通算3試合0勝1敗、防御率1・29。7回で四死球0。200センチ、90キロ。右投げ右打ち。巨人時代の背番号は59。

 ◆ローク・バンミル

 1984年9月15日、オランダ生まれ。05年までオランダで野球を続け、06年から米ツインズ傘下でプレー。その後エンゼルス、インディアンス、レッズの傘下でプレー。主に中継ぎ、抑えを務めた。メジャー経験なし。マイナー8年間の通算成績は233試合登板で12勝26敗17セーブ、防御率3・23。08年北京五輪、今年3月のWBCでオランダ代表。216センチ、117キロ。右投げ右打ち。