ガッツ石松さん死去 ボクサータレントの草分け 朝ドラ「おしん」で抜てき 俳優としても活躍

映画「おしん」完成披露会見で、笑顔で向き合う上戸彩(前列左)と浜田ここね。後列左から小林綾子、ガッツ石松(撮影・森本隆)

<ガッツ石松さんアラカルト>3

ボクシングの元WBC世界ライト級王者でタレントのガッツ石松さんが肺炎のため亡くなった。76歳だった。11日にインスタグラムで発表された。

ガッツさんの人生を振り返る。

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◆苦戦奮起 74年9月に名古屋で初防衛戦は試合前パレードで風邪をひいた。チュリー・ピネダ(メキシコ)に辛くも引き分け。おごりを反省して、11月には大阪でゴンザレスと再戦に12回KO勝ちでV2。75年2月は東京体育館で、元世界王者で技巧派の指名挑戦者ケン・ブキャナン(英国)を迎え撃つ。終盤は左右を風車のように振り回す「ケンカ殺法」で、13回には右でスリップもダウンを奪う。3-0の判定勝ちでV3に成功し、WBC月間MVPに選ばれた。

◆V5達成 75年6月のV4戦はピネダと再戦でてこずったが3-0の判定勝ち。12月にはアルバロ・ロハス(コスタリカ)に苦戦も14回に右アッパーで倒し、V5に成功した。この時は19キロ減量し、1カ月で10キロ落とした。76年5月のV6戦はエステバン・デ・ヘスス(プエルトリコ)。約7500万円の高額オファーに敵地へ乗り込むも、約2万人集めた野球場で15回判定負けして陥落した。

◆2階級失敗 天然ぶりでテレビで人気者も、マージャン店、スナックなど経営は失敗した。借金返済に、77年4月にWBC世界スーパーライト級王者センサク・ムアンスリン(タイ)に挑戦する。1年ぶりの試合で15キロ減量し、合間にテレビ出演など練習不足。6回KO負けで2階級制覇はならず。78年の再起戦も判定負けで引退した。生涯戦績は31勝(17KO)14敗6分。

◆おしん 元ボクサータレントの草分けで、引退直後にガッツ・エンタープライズを設立した。83年にNHK連続テレビ小説「おしん」で原作者橋田寿賀子に抜てきされる。俳優として認められて「北の国から」など数多くに起用された。ボクサーになった一つは「高倉健さんと共演したかった」で、ハリウッド映画「ブラック・レイン」で実現した。

◆OK牧場 90年に映画「カンバック」で監督、主演した。栗原小巻、高倉健らにテレビ西部劇「ララミー牧場」の主役で憧れのロバート・フラーも出演してくれた。フラーがクライマックスで最高の演技に「OK」場面で、思わず口から出たのが「OK牧場」。オーケーでなくオッケー。その後は何かいいことがあるとお決まりフレーズで流行語にもなった。

◆落選 81年に菅原文太らと雷おやじの会を立ち上げた。いくつか出馬要請を受け、森喜朗氏から直々に自民党公認を受ける。選挙は2年後で96年衆院選東京9区で落選した。3億円の借金も芸人はなわによる「ガッツ伝説」でブームに。10年には元世界王者による世界チャンピオン会が発足し、初代会長に就任した。

◆金の墓 地元鹿沼沼市内のさつき霊園に生前で墓を建立した。墓石には「ガッツ家之墓」、下部には「OK牧場」の金のプレートも貼られた。ボクシングのグローブとチャンピオンベルトのオブジェ、戦績や碑文も記されている。

 

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