【悼む】タレントで名をはせたガッツ石松さん、微妙な判定には「負けていた」と厳しく正論

世界ライト級タイトルマッチ ガッツ石松対ロドリオ・ゴンザレス 三度笠でリングに入場するガッツ石松さん(1974年4月撮影)

ボクシングの元WBC世界ライト級王者でタレントのガッツ石松さんが肺炎のため亡くなった。76歳だった。11日にインスタグラムで発表された。当時の担当記者が悼んだ。

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子供のころにブラウン管越しで、リングから三度笠を投げるガッツさんが記憶に残る。所属の米倉ジムの米倉会長は昔かたぎも、イケイケであおる人。ガッツさんもそれに乗せられた印象だった。全日本新人王になって凱旋(がいせん)した帰りに、運転していたガッツさんは涙ぐむ会長の姿を見たそうだ。「あれで奮起した」と聞いたことがある。

88年にタイソンが東京ドームで試合した。完全非公開で練習していたジムに、ガッツさんがひょっこり姿を見せた。「ちょっと見させてもらってくる」と言ったが、門前払いだった。ファイティング原田氏は突然の来訪も、タイソンは手本だったこともあって招き入れた。気さくなガッツさんの足元はサンダル履きだった。

OK牧場など天然ボケと見られるが、一方で真摯(しんし)で真正面な人だった。他紙の評論家として自ら執筆していたが、話を聞こうと待っていた。「俺の話を聞きたいの?」とペンを置いた。こちらが遠慮すると「誰かが代わりに書いてくれるよ」とそっちのけ。「そっちは違うこと言った方がいい?」とサービス旺盛だった。

タレントで業界から離れたこともあったが、常に歯に衣(きぬ)着せぬ意見だった。鬼塚、亀田の微妙な判定では、素直に「負けていた」と断言した。特に亀田騒動では父史郎さんとテレビで真っ向対立して、正論で一家を諭していた。苦労に苦労を重ねた高度成長期の渡世人だったが、時代に関係なくいつも筋の通った人だった。【河合香】

◆ガッツ石松 本名鈴木有二。1949年(昭24)6月5日、栃木県上都賀郡粟野町(現鹿沼市)生まれ。中卒で上京し、66年にヨネクラジムに入門し、1回KO勝ちでプロデビュー。69年全日本ライト級新人王。70、73年にパナマで世界挑戦もKO負け。74年にガッツ石松に改名し、WBC同級王者ロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)に3度目の世界挑戦。8回KOで、日本人11人目、同級で初の世界王座獲得。5度防衛。77年に2階級制覇に失敗し、78年に引退。通算31勝(17KO)14敗6分。170センチの右ボクサーファイター。引退後はタレントとして活躍し、96年衆院選は落選した。10年に世界チャンピオン会初代会長に就任した。

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