プロレス界の選手、レフェリー、スタッフら輝く女性たちの姿に迫る企画の第1弾は、センダイガールズプロレス(仙女)代表の里村明衣子(39)。経営者兼選手として、女子プロレス界のトップを走り続ける里村にその信念と夢を語ってもらった。【取材・構成=高場泉穂】

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待ち合わせた新宿・歌舞伎町のカフェに、里村は緑のロングスカートを翻して速足で入ってきた。「お待たせして申し訳ありません」。前の仕事が長引く連絡はあり、少しの時間しか遅れていない。それでも丁重に頭を下げた。数時間後、赤いコスチュームに身を包みリングに上がる里村は別人だった。黒髪をオールバックにかため、大きな目をぎらつかせる。鍛え上げられた筋肉質の体に高い技術。貫禄のマイク。世界中のリングに引っ張りだこの女子プロレス界の“横綱”は、オーラを放っていた。

日本の女子プロレス界をリードし続ける里村明衣子(撮影・高場泉穂)
日本の女子プロレス界をリードし続ける里村明衣子(撮影・高場泉穂)

「女子プロレスを一生やっていきたい。大ブームにしたいんです」。プロレスを愛する気持ちは25年間、変わらない。出会いは中2の春。「初めて見に行った時、一瞬で『この世界に入る』と憧れを抱きました」。地元新潟市の体育館で新日本プロレスの試合を見て一目ぼれ。両親に見せつけるように畳の上でスクワット1000回を休まず続け、94年に長与千種が作ったGAEA JAPANへ入団。95年4月、当時最年少の15歳でデビューした。

そこから約7年間、長与の付け人を務めた。忘れられない事がある。デビュー間もない頃にあった大阪大会で長与が着るガウンを東京に忘れた。「私も試合が入ってたんですけど『お前、試合やるな。今すぐ取りにいってこい』と言われて。自分の試合がなくなったショックと、試合に間に合うかというドキドキで移動しながらずっと泣いていました。結局、長与さんの試合までに戻ることが出来ました。『本当は許すことはできたけど、仕事の責任感を分かってもらうために行かせたんだ』と言われました」。3月21日、DDT後楽園大会に参戦した里村は、東京に着いてから膝につけるレガーズを忘れたことに気付いた。すぐ拠点の仙台に取りに戻り、試合にギリギリ間に合った。長与の教えは今でも生きている。

17年9月、仙台女子プロレス 仙台ガールズワールドタイトルマッチで、橋本千紘(右下)にデスバレーボムをかける里村明衣子
17年9月、仙台女子プロレス 仙台ガールズワールドタイトルマッチで、橋本千紘(右下)にデスバレーボムをかける里村明衣子

05年に新崎人生とともに立ち上げた仙女は、11年の東日本大震災も乗り越え、やっと今軌道にのってきた。「女子のレベルは10年前に比べたら、すごい上がっている。世界的にも女子レスラーが増えている。その中で仙女は世界一の団体を本気で目指します」。ビューティー・ペアやクラッシュ・ギャルズが一世風靡(ふうび)したあの頃とはまた違う新時代をけん引するつもりだ。女子プロレスは「女性が輝く場所」。近いうち、武道館での大きな興行も考えている。

◆里村明衣子(さとむら・めいこ)1979年(昭54)11月17日、新潟市生まれ。GAEAで95年4月15日にデビュー。得意技はスコーピオン・ライジング、オーバーヘッドキック。157センチ、68キロ。