日本のボクシングが本格的に始まったのは大正時代とされ、4つ目の時代となる令和に突入する。実際に定着したのは昭和から。プロは昭和6年に全日本プロ拳闘協会が設立され、世界の流れに乗ったのは戦後の27年に日本ボクシングコミッションが設立されてから。この年に白井義男が日本人初の世界王者となった。

昭和30年代は空前のブームとなり、白井とペレスの3度目の世界戦は史上最高とされる96・1%の視聴率を記録した。高度経済成長でテレビが一気に普及し、週10本以上中継があった。野球、相撲に並び、3大プロスポーツの1つとして人気となり、昭和の戦後44年で27人の世界王者が誕生となった。

昭和から平成へと変わるころは暗黒だった。井岡弘樹が62年に王座獲得も、その後の日本人の世界挑戦は失敗続き。21で止めたのが大橋秀行。人気再浮上のきっかけになったところへ、辰吉丈一郎が現れた。「浪速のジョー」の爆発的な人気で、全国のジムで練習生が激増した。

さらに鬼塚勝也、川島郭志にピューマ渡久地を加えた高校アマ上がりの三羽カラス、勇利アルバチャコフや辰吉との世紀の一戦を制した薬師寺保栄らが続いた。個性的、多士済々で、女性ファンも増えた。

どのスポーツも2世がいるがこの世界も多い。辰吉、川島、薬師寺らは父がボクサーや強制で、この世界へと入った。父親は昭和のブーム時代に、自らも世界王者を目指したり、あこがれた世代だった。

現在も井上尚弥、田中恒成ら親子二人三脚ボクサーが多い。個人競技でマンツーマン指導しやすい面があるのだろう。さらにさまざまな環境の変化、団体拡大化などの結果、昭和に続く平成は31年で65人と倍増で、世界王者ラッシュの時代となった。

さて、令和はと考えると、親子鷹時代と行き着いた。これまで日本から91人の世界王者が誕生も、親子はいまだいない。親子王者は3組いるが、日本王者の野口進と恭、東洋太平洋王者のカシアス内藤と律樹、東洋太平洋王者の寺地永と世界王者の拳四朗。花形進、輪島功一の長男がデビューも無冠で、今はマネジャーとなっている。

現役では平成時代の象徴である辰吉と次男寿以輝、畑中清司と長男健人の親子が、その可能性を秘めている。山口圭司の長男臣馬もプロ入りしたそうだ。世界でもスピンクスら4組しかいない快挙。日本で初の快挙を達成する時は、令和何年になるだろうか。それとも…。【河合香】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

畑中建人
畑中建人