ウイルスで世界中が静まり返っている。スポーツへの影響は多大で、再び歓声が湧く日が見えてこない。ボクシングも例外なく、4月15日までの試合が中止、延期になった。対策実施前最後の興行が2月27日に後楽園ホールであった。当日券販売なしでも1009人集まった。逆転、番狂わせなど8試合は熱気があった。

協栄新宿ジム初陣、賞金マッチ5回戦は元日本王者土屋と元東洋太平洋王者小浦が再起戦、はじめの一歩トーナメント準決勝と、いつになく話題豊富。応援団も多くが駆けつけたようだ。

注目はやはりメインで、東洋太平洋ウエルター級王座決定戦だった。アフガニスタン出身の同級2位クドゥラ金子(本多)が王座奪取なるか。15年にデビューから11連勝で8KO。18年に元日本王者有川を3回TKOで一躍名を上げた。

出稼ぎで来日の父に、11年の13歳の時に母、弟と呼び寄せられた。ボクシングとの出会いはテレビで見たタイソン。キックボクシングジムに通ったこともあったそう。来日後に自宅近くのジムに通い始めて「プロになりたい」と本多ジムに移った。

C級トーナメント優勝、東日本新人王も初戦突破したが右拳を痛めた。仕事でも手をケガして手術。ブランクを作り、対戦相手探しに苦労しながら、日本ユース王座獲得をへての初挑戦だった。

本名クドゥラ・トゥラに、本多会長は虎をリングネームにしようとした。本人が拒否。中高時代送り迎えしてくれ、ロードワークにも付き添い、手塩にかけて育ててくれた金子トレーナーの名前をもらった。

首都カブールから車で8時間のマザリシャリフ生まれ。山やパキスタンに住んだことも。授業はイスがなく床に座る。小学校から大学まで同じ場所で入れ替えのため授業は3時間程。金がない人は教科書がなかった。祖国は「戦争のあとは爆弾」と今だ戦火にある。

タイソンが手本も、生き方はパッキャオに共鳴する。「ファイトマネーで母国の人を助けたい。学校を建てたい」が夢だったが、結果は初黒星を喫した。

同級7位長浜(角海老宝石)に6~8ポイント差の0-3判定負け。長浜の顔は敗者のように腫れ上がり、クドゥラは強打も浴びせた。接近戦などで先手をとられ、スタミナも切れた。アマ経験ある全日本新人王に日本ユース王座を獲得した相手と技量、対策に差があった。

何より新王者の「パターンが同じ」という言葉が実力を示していた。終盤はイライラを募らせ、首を振ってコーナーに戻る。採点がコールされると、客席に頭を下げることなく、そそくさとリングに下りた。「話は長浜に聞いて」とだけ言い、さっさと引き揚げた。8日にはSNSで「ボクシングをやめます」と宣言した。22歳のアフガン戦士はまだ青かった。【河合香】