最年長関取の安美錦(40=伊勢ケ浜)が、名古屋場所10日目の16日に現役引退を表明した。安美錦は、横綱貴乃花の最後の相手としても知られている。

03年初場所8日目、安美錦(左)は、立ち合いで貴乃花の右腕を取り、送り出しで破る
03年初場所8日目、安美錦(左)は、立ち合いで貴乃花の右腕を取り、送り出しで破る

03年初場所8日目のこと。結びの一番だった。24歳で三役経験もなかった安美錦が、横綱貴乃花を送り出しで破った。初の金星だった。当時の安美錦は支度部屋で「勝った瞬間は、何が何だかわからず、頭がぼーっとした」とのコメントを残している。

貴乃花は直前の九州場所を右膝のケガが悪化して全休。初場所で復帰したものの2日目に左肩を強打して休場した。2日間休んだだけで強行出場し、4勝2敗1休で迎えた中日の安美錦戦だった。

敗れた貴乃花は、その翌日に引退を発表した。この事実に、安美錦は長く苦しんだ。大横綱の引退発表、記者会見…。日本中が大騒ぎとなり、全メディアが報じる様子を安美錦は信じられない気持ちで見ていた。

「大変なことをしちゃったんじゃないかと。テレビでもその取組が何度も映像で出てくる。勝手にプレッシャーを感じていた。勝った人はみんな強くなったと言われて…。その後、自分で貴乃花戦のことは触れなくなっていた。自分で自分のことを縛っていた」

あの呪縛から解放されたのは、近年のことだ。

数年前の巡業中、地元関係者らとの食事会で貴乃花親方と同席した。すると貴乃花親方が思い出の一番としてあの取組を話しているのを聞いた。「少しホッとした」。

その後、貴乃花親方がテレビ番組で、あの一番についてコメントしている場面を見た。最後は手負いの状況だったため「出場していなければ引退にならなかったのでは?」という問いに「あの一番はケガをしていてもしていなくても同じ結果」と答え、安美錦の実力をそのまま受け止めてくれていたことを知った。「あれで良かったんだ」と思えて、自然と涙がこぼれた。

19年名古屋場所2日目、竜虎(左)との取組で右膝を痛めた安美錦。最後の取組となった
19年名古屋場所2日目、竜虎(左)との取組で右膝を痛めた安美錦。最後の取組となった

時は流れ、安美錦の最後の相手は竜虎(尾上)になった。引退を発表した日、安美錦はこう言った。

「向こうの方が上だった。いい若手とできて良かった。自分も大横綱(貴乃花)からバトンをもらって、若い人にバトンタッチできて終われたのはうれしい」

余計なものは背負わなくていい-。そんなメッセージが込められた。すがすがしく後輩を立て、土俵を去った。【佐々木一郎】