10月31日にプロレスラーを引退した大仁田厚(60)が、プロレスの本場米国のデスマッチを日本に根付かせ、より進化させたハードコアという形で米国に逆輸入し、礎を築いたレジェンドとして世界に紹介される。北米を中心に80カ国で放送を展開するバイス・グローバル・メディア(VICE)が、世界のプロレスを題材に制作するドキュメンタリーシリーズ「The wrestlers」のデスマッチ特集に、大仁田が出演。同番組が18年に北米でオンライン公開される方向で調整が進められていることが、15日までに分かった。

 大仁田は、全日本プロレス時代の1981年(昭56)に海外修業に出てプエルトリコ、米テネシーなどを転戦した。その中で目の当たりにした、有刺鉄線マッチをヒントに、1989年(平元)10月に自ら旗揚げしたFMWで「有刺鉄線電流爆破マッチ」を考案し、1990年8月4日に東京・汐留で、ターザン後藤を相手に初の試合を行った。

 そのFMWで戦った米国人レスラーのサブゥーが、FMWの戦いを収めたビデオを米国に持ち帰ったことをきっかけに、流血戦など過激なハードコア路線を前面に押し出す団体ECWが、1992年(平4)に米国で誕生。大仁田はFMWを通して、ハードコアの礎を築いたレジェンドとして、海外で高い評価を受けている。

 このほど、大仁田を取材するためにカナダから「The wrestlers」取材班が来日し、密着取材を敢行。14日に東京・後楽園ホールで行われた、世羅りさプロデュース興行第4弾「ラストデスマッチ in 後楽園ホール大会」に来場し、大仁田がデスマッチを観戦しながらデスマッチについて語るインタビューの収録が行われた。

 大仁田は、19歳の頃にFMWの試合を見て衝撃を受け大仁田とデスマッチに心酔したという、タレントで司会のダミアン・アブラハムから幾つか質問を受けた。その中で、デスマッチのルーツについて聞かれると、テネシーとプエルトリコで刺激を受けたハードコアの原点と、そこからFMWで繰り広げたハードコアの、数々のアイデアが沸いていったプロセスについて熱く語った。

 大仁田は「有刺鉄線電流爆破マッチ」とハードコアのルーツについて、ニッカンスポーツコムの取材に、次のように語った。

 大仁田 FMWを旗揚げした当初は、格闘技路線をやっていた。でも、俺は格闘家ではないし、道場も持っていないので限界を感じた。設立して8、9カ月くらいで、もう1つの考え方が浮かんだ…それがデスマッチ。俺は米テネシーで有刺鉄線マッチを見ていたから、こういうものを使えばいいんだと。アントニオ猪木さんと上田馬之助さんは、1978年(昭53)2月28日に日本武道館で、リング下にくぎ板を置いて日本初のネイル(くぎ)デスマッチをやった。でも有刺鉄線を利用して、もっと新しい、進化したものが出来ないかって考えた時、電流を流して爆弾をつけられないかと思った。最初に実験をしたのは東京・渋谷のNHKの駐車場。NHKの中に入っている、特殊効果の会社の人に「出来ますか?」って聞いたら「出来ます」って言う。それで実験した、その場で「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」と名前を付けたんです。

 VICEは、ウェブサイトやYoutubeを含む多メディア展開を行っており、世界中に約2億8800万人の視聴者を持っているという。大仁田のインタビューが収録された「The wrestlers」の公開が、全世界で展開される可能性もある。