今日75歳グレート小鹿 国内最年長現役記録更新へ

営業部長としても全国を飛び回るグレート小鹿(仙台市内)

 大日本プロレス会長のグレート小鹿(本名・小鹿信也)が今日28日、75歳の誕生日にリングへ上がる。後楽園ホール大会(東京)の第3試合ハードコアタッグマッチで藤田ミノル(39)と組み、星野勘九郎(41)塚本拓海(26)組と対戦。国内最年長現役記録と同勝利記録の更新を狙う。デビュー55年目。函館観光大使の委嘱を受けるなど、ますます元気な国内現役最年長レスラーは、世界最年長到達まで、戦い続ける。

 小鹿は、自らも数え切れないほど名勝負を演じた日本プロレス界の聖地“後楽園ホール”のリングに、今日も上がる。74歳で現役を終えた鉄人ルー・テーズ(86歳で死去)は抜き去った。「行われる試合の中で、一番印象に残る、ファンが喜んでくれる試合をする」。75歳のバースデーマッチに向けて、闘志をみなぎらせた。17歳で角界入りしたが、21歳の時に全国民が夢中だった力道山の門下生となり、プロレス道を歩んだ。リングへの思いは、55年目の今も変わらないままだ。

 “レスラー兼営業部長兼育成トレーナー兼会長”が現在の肩書だ。年間約30試合を戦いながら、数カ月後に大会が行われる場所に出向き、ポスター配りやメディア出演などの宣伝活動をこなす。新人が入門したら、半年から1年かけて合宿所で面倒を見てデビューへと導く。最近はフラッと入った居酒屋で人生相談を受けることも多い。「経験を積んできたので、人相を見れば、7~8割の確率で、悩み事があるかどうかが分かる」という。

 5年前から、毎朝コップ1杯のミルクを欠かさない。スプーン3杯の粉ミルクをお湯に混ぜ、幼児と同じように飲む。「20歳を過ぎると人間は細胞が減る。細胞の死滅を1割でも2割でも食い止めるため、育ち盛りの幼児と同じものをいただく」という。食事は「食べたい時に食べる」と決め、多い時は1食で400グラムのステーキを食べるが、必要を感じない時には口にしない。独自の流儀を守り、健康を維持する。

 4月から函館観光大使となった。北海道は年間3回ツアーを組み「準フランチャイズ」と位置づける。2年前には、NPO法人「資源を増やす木を植えましょう」を北海道庁に申請、設立するなど、故郷への思い入れは強い。「必ず世界一になって、記念試合を函館でやりたい」。ジプシー・ジョー(82歳で死去)の77歳36日とされる男子プロレスラー現役世界最年長記録を超え、函館に戻る日まで、小鹿の戦いは、終わらない。【中島洋尚】

 ◆グレート小鹿(ぐれーと・こじか、本名・小鹿信也)1942年(昭17)4月28日、函館市生まれ。17歳の時に横綱千代の山から青函連絡船内で誘われ出羽海部屋入門。62年に三段目で引退。一時は鮮魚店を目指すが、63年に力道山を慕って日本プロレス入り。67年に渡米し、現地でヒール役として人気を博す。帰国後の73年に全日本プロレス入り。88年に一時引退するも、95年に大日本プロレスを立ち上げ、社長兼レスラーとして現役復帰。現在は同団体会長兼選手。家族は妻。182センチ、95キロ。

 ◆プロレス界の世界最年長 男子では放浪の殺し屋と呼ばれたプエルトリコ出身のジプシー・ジョーが、77歳36日で引退試合をしたのが最年長とされる。900戦無敗という米国のスタニスラウス・ズビスコ(91歳で死去)も、77歳と75歳の説がある。また米国のドリー・ファンク・ジュニア(76)が、08年の引退後も何度かリングに上がっており、小鹿より先に記録を塗り替える可能性がある。女子では米国のファビュラス・ムーラ(84歳で死去)が76歳3カ月でタイトルをつかんだほか、メイ・ヤング(90歳で死去)も70歳代後半まで現役だった。

 ◆函館観光大使 個人や団体の持つ人脈を生かし、函館の魅力を国内外にPRする目的で、函館市が委嘱する。今年1月には、ジャカルタを拠点とするアイドルグループJKT48が、任命を受けた。ほかに函館に記念館のある演歌歌手・北島三郎(80)、函館が舞台の映画に出演したアントニオ猪木(74)、函館出身の作家&ミュージシャン辻仁成(57)ら各界の約300人が任命されている。