大仁田厚(60)が、7回目の引退で43年のプロレス人生に幕を下ろした。1974年(昭49)4月14日に全日本プロレスでデビューし、最初の引退式もした地で恩師・ジャイアント馬場さんのライバル・アントニオ猪木最後の弟子の藤田和之らと6人タッグで対戦し勝利。「最後の一言を言うとしたら…俺は死ぬまでプロレスラー」と言いつつも「もう、戻り道はない」と完全引退を明言した。
7度目の引退…詐欺師とまで言われた大仁田が、最後と決めた引退試合で“涙のカリスマ”に戻った。藤田のパワーを真っ向から受け、つぶされ、自らの土俵・デスマッチで逆に有刺鉄線バット攻撃を浴びて血まみれになった。それでも、何度も戦ったNOSAWA論外を16分48秒、サンダー・ファイヤー・パワーボム6連発からのエビ固めで仕留めた。「こんなウソつきで弱い男に応援ありがとう。大仁田に1つだけ、いいところがある…夢を諦めないこと。夢を諦めるな!!」。口から吐く“聖水”を求めるファンに浴びせ続けた。
リングを下りると、母を思い涙する1人の息子になった。母松原巾江さん(82)が、異父弟の松原孝明・大東文化大法学部教授に促されてこの日、初めて試合に駆け付けた。大仁田は引退セレモニーで「弟よりバカ息子だからさぁ…母さん、心配かけてすみません」と涙で謝罪した。そして試合後には「母さんが、俺がプロレスを辞めるまで大好きな日本茶を飲まないでさゆで過ごしてくれた」と明かした。そして「今日は家に帰ったら、お茶入れてやろうかな」と引退へ心の針を向けた。
プロレスへの未練はある。泣きながら「最後の一言を言うとしたら…俺は、死ぬまでプロレスラー。こんなこと言うと、また誤解されるかな」と本音を漏らし、思わず吹き出した。プロレスへの情熱と裏腹に満身創痍(そうい)だ。ここ2年で、16年8月に右尺骨、11月に左かかと、12月に腰椎、今年2月には右尺骨骨幹部と7カ月で4カ所も骨折。変形し靱帯(じんたい)もボロボロのひざは、歩くだけで抜けそうになる。それでも「プロレスで胸いっぱいになれて43年間、プロレスが出来たことが本当に幸せ」と言える。
その思いに踏ん切りを付けるように言った。「多分…もう、戻り道はないと思います。1枚のチケットが、こんなにうれしく、重く、すてきに感じたことは43年間の歴史の中で初めて」。辞める決意をしたからこそ感じることが出来た思いをかみしめ、大仁田はプロレス人生に終止符を打った。【村上幸将】