豊田真奈美の引退試合に54人レスラー集まったワケ

引退試合後、ピンクの紙テープで覆われたリング上で左手を突き上げる豊田真奈美(撮影・鈴木みどり)

 女子プロレス界のレジェンド、豊田真奈美(46)が、引退試合で前代未聞の51試合を敢行した。デビュー30周年記念興行で第1試合からリングに立ち続け、約4時間で49組54人を相手。最後は愛弟子藤本つかさと3試合を行い、現役生活に別れを告げた。華麗な空中戦から「飛翔天女」と呼ばれ、90年代の全日本女子を中心にプロレス界を引っ張った。

 

 30年間のプロレス人生を燃やし尽くすように、豊田は力を振り絞った。自分を母親のように慕う藤本に、49試合目に勝利すると「まだまだ」と続行を要求。50試合目に勝ってもやめない。最後の51試合目。藤本のコーナートップからのドロップキックを4度も浴び、自分の得意技ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスで、リングに大の字にのびた。

 観衆の「豊田」コールに立ち上がると、涙声であいさつした。「本当にどこも痛くない自分の体に戻りたい。本当に申し訳なく悔しい気持ちでいっぱい。30年間プロレスやってきて本当に本当に幸せでした」。首と肩の故障が治らず、3月17日に引退発表。そのときから引退興行での50試合は決めていた。

 午後3時5分の第1試合からわずかな休憩を除き約4時間リングに立ち続けた。全日本女子プロレスで戦った仲間や後輩、男子レスラーも駆け付けた。48試合目までは制限時間1分。大日本の伊東竜二から有刺鉄線ボードにたたきつけられ、堀田祐美子の強烈なキックにKOされたが、最後までプロレスを楽しんでいるようだった。

 87年に全日本女子でデビューし、一気にトップレスラーに上り詰めた。02年7月の退団後はフリーで活躍。高難度の跳び技を駆使し「飛翔天女」と呼ばれ、その美しいプロレスでファンを喜ばせてきた。アジャ・コングや北斗晶らと激闘を繰り広げた全日本女子90年代の隆盛と、その後の女子プロの衰退。栄枯盛衰を駆け抜け、トップで輝き続けたからこそ、この日は54人ものレスラーが豊田のもとに集まった。最後に後輩の藤本に思いを託し、豊田は「きちんと痛みのない生活をしてから、第2の青春を楽しみたいです」とリングを後にした。【桝田朗】

 ◆豊田真奈美(とよた・まなみ)1971年(昭46)3月2日生まれ。島根県益田市出身。87年に全日本女子からデビュー。90年ジャパンGPに優勝し、95年にはアジャ・コングからWWWA世界シングル王座を奪取するなど、同王座を4度戴冠。02年7月に全日本女子を退団しGAEA JAPANやOZアカデミーなどで活躍した。06年20周年、12年25周年は全5試合に出場。得意技はジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス(日本海式竜巻原爆固め)。167センチ、80キロ。