平成最後の夏男は棚橋 右膝痛み耐え3年ぶり制覇

G1を制し祝福のテープを浴びる棚橋(撮影・中島郁夫)

<新日本:G1クライマックス28>◇12日◇日本武道館

 「エース」が完全復活を遂げた。Aブロック1位の棚橋弘至(41)が、15年以来3年ぶり3度目のG1クライマックス制覇を果たした。優勝決定戦で、Bブロック1位の飯伏幸太(36)と頂上決戦。永遠に完治しない右膝の痛みにもがきながら、ハイフライフロー3連発で制した。来年1月4日、東京ドーム大会のメイン出場権利証を獲得。故障で陥った人生最大の低迷期を乗り越え、ついに主役に返り咲いた。

 張られても、張られても、前に出た。衝撃の度に顔はしかみ、奥歯がくだけそうなほど食いしばる。棚橋はそれでも、歩んだ。鬼神のごとき様相に、張った飯伏が後ずさる。25分過ぎ、コーナーからコーナーへ、対角線上の前進。「この試合を通じて、俺という人間の一部分が出ればいい」。その生きざまは、この前進に雄弁だった。

 いわば、張られ続けた2年間だった。16年1月にIWGPヘビー級選手権で敗北後、当たり前だったベルト戦線に絡めない。前厄の同年に左二頭筋を切り、本厄の17年に右二頭筋を切り、さらに右膝も変形膝関節症に。「痛さは日替わり。朝起きて立ち上がって分かる。完治はない」。

 同時期、リング外の活動が多くなった。映画「パパはわるものチャンピオン」(9月21日公開)では主演。午前4時から午後10時まで撮影する俳優業は刺激も、ファンからの1つの言葉が心に刺さり続けた。「プロレスも頑張ってくださいね」。「も」が響いた。「何よりリングでの活躍がうれしいんだな」。自問した。「すべて全力でした。でも、プロレスでトップに立たなくてもいいや、と納得させていたのかも」。気付きだった。痛みを受け入れ、心からトップを目指した。

 時は流れ、今年4月4日、成田空港。米国遠征で搭乗ゲートに向かう途中、空港職員の男女に囲まれ、握手、写真を求められた。「頑張ってください」の声。「これが全力でやってきた証しなんだな」。そう思えた。間違ってないと。

 そして、復活の時は来た。この日、いまでは感謝すらするその肉体で、舞い続けた。飯伏の俊敏な技に何度も大の字になりながら、何度も立った。最後はハイフライフロー3連発。「優勝したぞー!!」と絶叫し、「逸材、完全復活見ていてください」と誇った。

 お決まりのエアギター。3回のアンコールに応えたが「すげえ気持ち良かったですけど、さび付いてました。あまりにやってなくて」と照れた。そして誓った。「でも大丈夫、これからガンガンかき鳴らしていくから」と。【阿部健吾】

 ◆棚橋弘至(たなはし・ひろし)1976年(昭51)11月13日生まれ、岐阜県大垣市出身。立命大法学部から99年4月に新日本入団。06年7月にIWGPヘビー級王座初戴冠。以降、同王座最多戴冠7回、通算最多防衛28回、連続防衛11回は歴代2位。G1優勝は07年、15年に続き3回目。得意技はハイフライフロー、スリングブレイド。愛称は「100年に1人の逸材」「エース」。181センチ、101キロ。