父真吾氏、19歳で夜遊び卒業「自分より家族」で悲願

勝利した井上拓(左から2人目)は兄尚弥(左)、父真吾トレーナー(右)ら家族と記念撮影(撮影・鈴木みどり)

<プロボクシング:WBC世界バンタム級暫定王座決定戦12回戦>◇30日◇東京・大田区総合体育館

WBC世界バンタム級5位の井上拓真(23=大橋)が3-0の判定で同級2位タサーナ・サラパット(25=タイ)を下し、暫定王座を獲得した。現WBA世界同級王者の兄尚弥(25)に続き、同じ階級で念願の緑ベルトをつかんだ。亀田兄弟に続いて国内2例目となる兄弟世界王者が誕生した。

息子2人を兄弟王者に育てた父真吾氏は「ほっとしました。実は泣きそうでした」と笑みを浮かべた。自らは小学校低学年で両親が離婚し、母子家庭に育った。中学卒業後に塗装業の世界に入った。10代は夜遊びに明け暮れ、悪友も多かったが、19歳で美穂夫人と結婚する前に「自分は家族が宝物。覚悟を決めたかった」と携帯電話の番号を変え、悪友との関係を断絶。20歳で師匠から独立、明成塗装を設立し「大卒のヤツに負けたくない」と不眠のまま働くことも当たり前だった。

24歳の時、中学時代の友人に誘われ、ボクシングジムに通い始めた。アマで2戦2勝。多忙な仕事のためプロにはなれなかったが、ジムワーク不足を補うために休日は自宅に設置した器具などで練習に励んだ。休日のある日、シャドーボクシングをしている時、長男尚弥から「ボクシングをしたい」と言われ、拓真と3人で一緒にトレーニングを始め、ボクシングが3人共通のツールになった。「まず自分がやってみる」と尚弥の高校時代までスパーリングの相手も務めた。

競技に打ち込む子供たちの姿に「自分は職人で、退職金もない。環境を整えなければ」と34歳からアパートとマンションの経営も始め、現在は数棟を持つオーナーだ。39歳の時には練習環境の確保の意味も込め、秦野市にアマチュアジムを設立。尚弥がプロ転向するまでジム運営も続けた。「(妻と)一緒に(会社の)ビラ配りをしたり、練習を見てもらったり。1人ではここまでできなかった」と妻や長女晴香さんのサポートにも感謝した。

リング外の指導も徹底した。幼少時代には仕事現場に連れて行き、プロ転向前の尚弥には倉庫仕分けのアルバイトも経験させた。拓真には今も月数万円の家賃を徴収し「お金を稼ぐことは簡単ではない」と徹底させている。和尚の尚を入れ「まっすぐ育ってほしい」と命名した尚弥、そして「たくましく育って欲しい」と名付けた拓真。由来通りの道で世界王者にたどり着いた。20歳の時に「自分のことはどうでもいい。家族のため」と覚悟を決めた願いは、27年後に兄弟王者を誕生させた。「まだ暫定王座。バンザイで喜べない。正規王者になって喜びたい」と気を引き締めつつ「今夜は家でチビチビ飲みます」とも。真吾氏が支える息子2人の物語は19年も続いていく。【藤中栄二】

◆井上真吾(いのうえ・しんご)1971年(昭46)8月24日、神奈川・座間市生まれ。中学卒業後、塗装業の仕事に就いて修業。20歳で明成塗装を起業。ボクシングはアマで戦績2戦2勝。39歳でアマチュアの井上ジムを設立したが、長男尚弥の大橋ジム入門に合わせ、大橋ジムのトレーナーに就任。家族は美穂夫人と1女2男。