猪木氏「今でもあの殺気思い出す」ウィリーさん悼む

新日本プロレス異種格闘技戦調印式 ウィリー・ウィリアムス(右)と握手をかわすアントニオ猪木。中央は特別立会人の梶原一騎氏(1980年2月撮影)

80年にアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦で戦った「熊殺し」の異名を持つ空手家、ウィリー・ウィリアムスさんが67歳で死去したことを受け、アントニオ猪木氏が、追悼のコメントを発表した。

「ウィリー・ウィリアムス選手の訃報に、心から哀悼の意を捧げます。ウィリー選手との戦いは、新日本プロレスとカラテの、互いの誇りを掛けて臨んだ熱い戦いでした。今でもあの殺気溢れる蔵前国技館のリングを思い出します。戦いを離れゆっくりと休んで欲しいと思います。さようなら、ありがとう、ウィリー・ウィリアムス。アントニオ猪木」

80年2月27日に東京・蔵前国技館で行われた2人の戦いは、極真空手対新日本プロレスの戦いの様相を呈し、試合前から異様な雰囲気に包まれた。極真関係者と新日本関係者がリングサイドを囲み、一触即発のピリピリしたムードで試合が始まった。両者もつれ合って場外に落ちたところで、ドクターストップによるノーコンテスト。当時の模様を新日本プロレス専務取締役営業本部長の新間寿氏は「惜しいね。昔活躍した人が、次々といなくなっていくのは。ウィリーは技術もあったし、体も大きかった。いい形で育てれば、K-1にでも総合格闘技でも活躍できたが、時代がちょっと早かった」と惜しんでいた。猪木とは、引退カウントダウンの97年1月4日、東京ドーム大会でも対戦。そのときは、猪木がコブラツイストでウィリアムスさんを破っている。