横綱白鵬とIWGP王者オカダが夢のトップ対談

レインメーカーポーズをとる白鵬(左)とオカダ・カズチカ(撮影・横山健太)

最強王者の対談が実現した。来年1月4日にタイトル防衛に挑む新日本プロレスのIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(32)が角界トップに君臨する横綱白鵬(34)と初対談。王者としての共通点や使命、今後の夢などを大いに語り合った。オカダは「1・4」の飯伏幸太(37)との防衛戦に向け、大横綱からパワーをもらった。【取材・構成=高田文太、高場泉穂】

-おふたりは、親交があると聞きました。

オカダ(以下、オ) (今年)1月5日の後楽園ホール大会の後、幕内1000勝記念祝賀会の2次会に顔を出させてもらって、あいさつしました。

白鵬(以下、白) 共通の知り合いがいて前からずっと気にしてたんです。本当はもっと前に会って、深い関係にしたかった。上に立った者にしか分からないものがたくさんありますし、縁ができて気持ちいいね。

-第一印象は

白 いきなり相撲とりましたよ。

オ 組んでみて、「横綱だ…」と。

-取組や試合を見る機会は、なかなかないと思いますが

白 10年前ぐらいかな。1度、両国の大会を見にいったことあるんだよ。

オ 僕がまだいない時ですね(笑い)。

白 あんなきつい競技をよく30分もやってるなと。スタミナはどこからきてるのかと思う。1つ間違えば危ないからね。我々と一緒。

オ 僕は3月場所を砂かぶりで見せてもらいました。その時すごいなと思ったのが、横綱が組んでいる時、相手のいろんなところを見てたんです。何を見てたのか、全然分からないですけど、余裕があるというか。いろんなことを気にしていると思いました。

白 組んじゃうと、ひと息置くというか、そこで足の位置とか、ここで体勢崩せるかとか考えてるね。組むまでは、息が止まっている状態だから。

オ 1回ですごい量の汗が出てくるじゃないですか。僕たちプロレスラーが20、30分で出てくる量が、一瞬でがっと。短いけど、濃い短さだと感じました。

-勝って当たり前の存在。プレッシャーは

白 ありますね。今回は、3月の(右上腕筋)断裂。病院に行った時に「もう元には戻りません」って言われた時、やっぱり引退という2文字が出ますよね。でも、4回ぐらい再生医療をしたら治ってしまった。先生が一番びっくりしていました。「横綱のDNAを検査したい、宇宙人じゃないか」と。最近つくづく思う。なんで私が(来年3月で迎える)35歳まで、できるのか、結果を出せるのか。そうなると遺伝子レベルに戻っちゃうんだけど、目に見えない、そういう世界があるのかな。ご先祖さまとかに支えられているのかなと感じます。自分の努力もあるけど、それ以前のものがあるような気がする。

オ 「週刊プロレス」とか見ても、僕がやられてるところが表紙になる。勝ってもそんなに喜んでもらえないというか。寂しい部分ではありますが、それは僕だけじゃなく横綱、プロ野球の巨人とかもそう。強い人に立ち向かう方を応援するというのもある。

白 上にあがっていく時の方が、楽しいもんね。

-なぜ勝ち続けられるのですか

白 今の関取衆の中で、一番追い込んでる自信があるね。昔は相撲の稽古だけだったんだけど、ここ3、4年は本格的な現代のマシンとあわせてトレーニングしている。半端ないね。うちの石浦と炎鵬はついてこれないもんね。

オ 僕は正直、そこまで胸を張って練習しているとは言えないかもしれないけど、1番のことをやっている自信はありますね。世界中、どのレスラーにも負けない濃い試合をしている。「オレよりすごいことやっている人いないでしょ?」と言えます。

-オカダさんは15歳でメキシコ、白鵬関は15歳でモンゴルから来日。若くして異国の地で修行した点も共通しています

白 僕は入門した時は62キロしかなくて、全く歯が立たなかった。でも、どこかに「俺は横綱の息子だ」という気持ちがあった。(亡くなった父ムンフバトさんはモンゴル相撲の横綱)。0・0何%それを信じて、心の隅っこに置いていた。

-最初は日本語も

白 全くですね。でもモンゴル語と日本語は(文法の)順番が一緒。それがすごく覚えやすかった。それと、18歳で関取になって、奥さんに出会って日本語がうまくなった。

オ 覚えちゃったんですね(大笑い)。僕もメキシコに行った時は、自分がここまでなるとは思っていなかった。でも今、異国の地を踏む人は多い。横綱もそうですしラグビーのリーチ・マイケルも。若くして異国に行くことは、ハングリー精神を生むというか、成功するきっかけになるのかなと思いますね。

白 そう。まず親から離れないとね。

-トップとして競技を広める使命もお持ちです

白 (主催する少年相撲の世界大会)白鵬杯は来年で10周年。15カ国の子どもを呼び、女の子も入れようと考えています。約10年前に、相撲界にさまざまな問題が起きて、入門してくれる子どもたちがいないと今後成り立たないと思ったのがきっかけ。こんなに花が咲くとは思わなかった。

オ プロレスは子どもたちにはできませんが、それでも、もっと子どもたちに身近なものにしていきたい。僕がさまざまなメディアに出させてもらうことで、プロレスに対するイメージは変わると思う。1人でもオカダ・カズチカに憧れてくれる子どもを増やしていきたいです。

-東京五輪で世界中から注目される20年に向けて

白 64年の東京五輪には、おやじがレスリング選手として来ていたんです。その4年後のメキシコでモンゴルに初の銀メダルをもたらした。五輪といえば伝統文化。相撲には、必ず何か仕事がある。親子で、しかも東京五輪の舞台に立てる。そういう夢が5年前にできた。5年前は(20年までの現役続行は)ないなと思っていたけど、もう見えてきました。

オ オリンピックイヤーに灯をともすのは、僕たち新日本プロレスの1月4日、1月5日の東京ドーム大会だと思っている。まず、東京ドームに注目を集めて、その熱い思いのまま東京五輪にいってほしい。僕たちはプロレスで、大きな灯をともしたい。

白 ドームに応援に行こうかな。たぶん行けると思う。横綱になってからテレビでしか見たことないんだよ。

オ いや本当に、タイミング合えばぜひ。

白 着物の中に短パンはいてね(笑い)。

◆オカダ・カズチカ 本名岡田和睦。1987年(昭62)11月8日、愛知県安城市生まれ。中学校卒業後にメキシコにあるプロレスラー養成学校闘龍門に入門し04年8月にメキシコでデビュー。07年8月に新日本プロレス入り。12年2月には棚橋を下し、初めてIWGPヘビー級王座を獲得。同年8月、初出場のG1クライマックスで史上最年少優勝。IWGPヘビー級は第57、59、63、65、69代王者で、通算29度の最多防衛記録を持つ。65代王者として12度の防衛も、1代では最多。得意技はレインメーカー。今年4月に結婚を発表。妻は人気声優三森すずこ。191センチ、107キロ。

◆白鵬翔(はくほう・しょう)本名同じ。1985年3月11日、モンゴル・ウランバートルで生まれる。ムンフバト・ダバジャルガルと名付けられる。00年10月に来日、01年春場所初土俵。04年初場所新十両。同年夏場所、昭和以降4番目に若い19歳1カ月で新入幕。大関昇進した06年夏場所で初優勝。07年名古屋場所で第69代横綱昇進。優勝43回など、さまざまな史上1位の記録を持つ。今年9月に日本国籍取得。昨春亡くなった父ムンフバトさんは、68年メキシコ五輪レスリング銀メダリストでモンゴル相撲の横綱。得意は右四つ、寄り。家族は紗代子夫人と1男3女。192センチ、158キロ。