朝倉未来と死闘演じた斎藤裕、震災が人生の分岐点に

ベルトを肩にかけ、ファイティングポーズを決める斎藤(撮影・山田愛斗)

最強証明へ後悔のない人生を生きる-。秋田・能代市出身の総合格闘家、斎藤裕(33=パラエストラ小岩)は、たたき上げのニューヒーローだ。昨年11月、国内メジャー団体のRIZINで、人気ユーチューバーでもある朝倉未来(28)との死闘を制し、初代フェザー級(66キロ)王座を戴冠。東北生まれの王者が、タイトル戦、プロ入り前のエピソード、今後の展望などを語った。【取材・構成=山田愛斗】

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一躍その首を狙われる存在になった。斎藤は総合格闘技老舗団体の修斗で地道に実力を磨き、プロアマ通じて60戦ほどのキャリアを積み上げてきた。一方、少年時代はケンカに明け暮れていたことから「路上の伝説」の異名がついた朝倉。対照的な両者のタイトルマッチは、判定3-0で斎藤に軍配が上がり、RIZINフェザー級の初代王者に輝いた。

斎藤 言葉にならないですよね。ひと安心したのが本音かもしれません。跳びはねるうれしさよりも「終わったな」という感じで、あの思いは言葉にはできないですね。会場で泣いている方とかもたくさんいて、不思議な気持ちになってました。

5分3回制、15分間の激闘だった。「打撃の方が見栄えがいいし、見てて面白いと思います。『おー!』ってなるじゃないですか。僕はそういう試合が好きなので、がんがん自分から行くのが好きですね」というファイトスタイルそのままの打ち合いを演じた。

最終3回残り1分を切ると、お互いにスイッチが入ったように足を止めてパンチの応酬。勝負は判定に委ねられたが「自分の中では『負けていない』。胸を張ろうという気持ちでした」。ジャッジ全員が斎藤を支持。秋田から訪れた両親が見守る前で王座に輝き、最高の親孝行を果たした。

今や時の人となり、毎日のようにファンからプレゼントが届く。大好物「ルタオ」のチーズケーキがジムの冷蔵庫を「占拠」することもある。それでも普段通りを貫く。

斎藤 自分の中で変わったつもりはないですが、「周りの人たちが自分を見る目が変わったのかな」と感じるのは多いです。今まで僕を知らなかったたくさんの人に見てもらったと毎日実感していて、知り合いが増えた感覚に近いです。

秋田時代の斎藤は小中学校では野球少年だった。中学3年の野球部引退後、当時ブームの格闘技にのめり込み、レンタルビデオ店に通い、棚の端から端まで格闘技の商品を借りて夢中になった。「格闘家がバラエティー番組に出たり、毎週のようにテレビで試合をやっていて、ボブ・サップが目に入り『なんだこれ』と興味を持ったのがきっかけです」。2メートル、約150キロの巨体ながら格闘技素人のサップが、02年10月、立ち技格闘技NO・1を決めるK-1で、当時世界王者3度のアーネスト・ホーストに1回TKO勝ちした番狂わせに衝撃を受けた。

能代工では野球を続けず空手部に入部。格闘家への1歩を踏み出した。「レスリングをやりたかったが、柔道と空手しかなくて『柔道は違うな』と空手を選んだだけで、ふわっとしてました」。大学進学を機に福島へ引っ越し、18歳で故郷を離れた。

大学1年で格闘技ジムに通い始め「工学部で建築の勉強をしながらプロになろうと。僕の中では1年で上がるつもりでしたけど、それは無理だと分かり、4年間で上がれたらとなりました」。修斗主催のアマチュア大会や柔術大会に出場し、とにかく場数を踏んだ。大学卒業後の10年春には建設会社への就職が決まり上京。現場監督として社会人生活をスタートさせた。時を同じくして現所属のパラエストラ小岩へ移籍した。

斎藤 大学4年間でもう少しでプロに上がれるぐらいまでいき「あと1年」というところで上京しました。仕事をしたら練習時間を取れないのは分かっていたけど、そのときは22歳だし「寝ないでも何とかなるやろ」と思って。結果的に半年後にプロになれて良かったという感じで、上がれなかったら諦めてましたね。

2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年がたった。東北人であり、大学時代は福島で過ごしただけに未曽有の大災害は今も脳裏に焼きついている。「たまたま自分は東京にいただけで、人ごとではないと思いましたね。これが夢なのか現実なのか分からない景色を見たり。でも現地の方はもっと悲惨な状況で。今でも車とか家が流されている映像を見るたびに、お金で買えるものに価値があるのかなとか思うようになりました」と人生観が変わる分岐点になった。

斎藤 生きたくても生きられなかった、やりたくてもやれなかった人はたくさんいたので、「自分の命があるなら後悔のない人生を生きた方がいいな」と心から思うようになりました。生きている自分は運がいいと感じたし、こっち(東京)に来て頑張れないのはちょっと違うなと改めて刺さりました。

同年11月、24歳で迎えた修斗のプロデビュー戦を判定勝利で飾った。それから白星を重ね、16年には同団体で第10代世界フェザー級王者となり、昨年8月からはRIZINにも参戦。「試合をするというのは自分の人生に勝負することだと思っています。思い出づくりで試合はしてないので、勝つか負けるか、やるかやられるかですね」。ひたすら強さを追求する。

RIZINには岩手・久慈市出身の扇久保博正、仙台市出身の神龍(しんりゅう)誠、青森・五戸町出身の太田忍ら東北ゆかりのファイターが多い。

斎藤 僕の意識ではライバル意識はなく「ともに頑張っていこうよ」という気持ちで、扇久保さんとは特にそういう話をします。自分の活躍で県を盛り上げていきたいという大義はないですが、見た人が元気づけられ、勇気づけられたりというのは、やっていて良かったことのひとつではありますね。

RIZINのフェザー級戦線には好選手が集結し、今秋から「真のNO・1」を決める同級トーナメントが開催予定だ。「なかなかフェザー級に光が当たらなかったが、盛り上がっているのは素直にうれしい」。今後の展望として「(米メジャー団体)ベラトールの選手とやりたいとは思っています」。難敵との対戦は「厳しい試合になると覚悟してるので、気は進まないのは本音ですが、レベルを落としてとかは考えてなくて追い求めていきたい」と強さを証明していく。

斎藤 コロナ時代が続きますが、何とか前向きに生きたいし、1年間けがなく健康に過ごすというのは当たり前ですけど、2020年以上に実りのある年にしたい。先延ばしせずに、どんどん勝負を仕掛けたいし、勝ち続けたいですね。

RIZIN、修斗2団体王者の誇りを胸に、ぶれない信念で強敵を迎え撃つ。

◆斎藤裕(さいとう・ゆたか)1987年(昭62)10月8日生まれ、秋田県能代市出身。能代第二中、能代工、日大工学部を卒業。プロ戦績は25戦19勝4敗2分け。修斗第10代世界フェザー級王者。RIZIN初代フェザー級王者。YouTubeチャンネル登録者は約3万人。趣味は銭湯巡り。好きな食べ物はラーメンとスイーツ。大切にしている言葉は「信念」。173センチ、66キロ。