<11・1寺地拳四朗VS京口紘人 日本人頂上決戦1>
11月1日、さいたまスーパーアリーナでボクシングWBC世界ライトフライ級王者寺地拳四朗(30=BMB)とWBA世界同級スーパー王者京口紘人(28=ワタナベ)の2団体王座統一戦が開催される。この注目対決を「世界ライトフライ級日本人頂上決戦 11・1拳四朗VS京口」と題し、3回連載する。第1回は2人とともに関西大学リーグで活躍したWBO世界ミニマム級王者谷口将隆(28=ワタナベ)、寺地の所属ジム会長で父の永(ひさし)氏(58)がアマ時代の両者を証言する。
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京口と同学年の谷口は両者の初対決を鮮明に覚えている。近畿大会決勝で、関西大3年の寺地と大商大1年の京口が初めて拳を交えた。龍谷大1年だった谷口は「アマ時代の寺地さんは日本トップ級。寺地さんが勝つやろうと思われていたのに京口が覆して勝った。1年が3年に勝ったことがすごい。それが僕の当時の素直な気持ち」と強い衝撃を受けた記憶が残る。
初対決では、京口が常に先手で攻め続けて上回っていたという。谷口は「ポイントは僅差でしたけど、京口がバリバリの勢いで勝った」と振り返る。同学年のライバルとして「京口が負けへんかなと厳しい目で見ていたのに、もし同学年で2人が対戦したら京口が勝つというイメージだった」というほどだった。
寺地の父永氏によると「(京口は)アマ時代からプロ向きで2学年差を感じさせず、レベルが高かった。アマ時代の2人は常に0・5点差ぐらいの際どい試合展開。勝者がMVPになるぐらいの関係だった」という。寺地は左ジャブと足を使う現在とは違い、当時は「アマルールが手数有利だった」(同氏)ために常に攻め続けるスタイルだった。またボートレーサーを志すなど現在とはボクシングへの情熱度も異なっていた。
初対決に敗れた後、寺地は京口に3連勝した。アマ時代、京口と2勝4敗の谷口は「京口には対策力があり再戦に強い。僕は6回目でコテンパンにやられた。その京口が連敗した相手が寺地さんだった」と回顧する。舞台はプロへと移り変わり、2人は世界王者となった。ライトフライ級では世界2強とも言える存在となった。
谷口は「アマで負け越した。それが今の京口には大きい」と雪辱の気持ちを代弁。永氏は「海外防衛した京口選手には目に見えない強さがある。拳四朗の方が距離感は上かもしれないが、展開は分からない」と警戒。11月1日はアマから続く「因縁」を決着させる舞台となる。【藤中栄二】