柴田国明氏「私の心の中では米倉会長は死んではいません」元ヨネクラジム会長の米倉健司さん悼む

1974年2月28日、WBC世界ジュニアライト級選手権 柴田国明(判定)リカルド・アルレドンド 3度目の王座に返り咲いた柴田国明は、米倉健志会長に肩車される。左はエディ・タウンゼント・トレーナー

プロボクシングで5人の世界王者を育てた元ヨネクラジム会長の米倉健司さんが20日に亡くなったことが21日、分かった。88歳だった。1956年(昭31年)のメルボルン五輪にフライ級で出場。プロでは日本フライ級、東洋バンタム級王座を獲得した。

引退した63年に都内でジムを開設し、柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の5人の世界王者を育成。17年8月に高齢を理由にジムを閉鎖するまで、54年にわたり会長を務めた。葬儀は家族葬で営まれるという。

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元WBC世界フェザー級、元WBA、WBC世界スーパーフェザー級王者・柴田国明氏(76)「覚悟はしていたけどショックです。昭和40年(65年)に米倉会長の自宅に引き取られてから、本当に家族のように過ごしました。会長は兄であり、おやじであり、師匠だった。攻めていけば、KO負けしても『いいんだ』と怒られなかったことを思い出す。その苦しみは楽しみでもあった。私の心の中では米倉会長は死んではいません」