全日本プロレスなど日米マットで活躍したプロレスラーで「テキサスの荒馬」と呼ばれたテリー・ファンクさんが死去した。79歳だった。
1993年(平5)年5月5日のFMW川崎球場大会の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ」で、テリーさんと激闘を演じた「邪道」大仁田厚(65)が24日、取材に応じ「びっくらこいた。時代が変わっていくなと、寂しいですね」と言葉を詰まらせた。
ただ、振り返れば、テリーさんの明るい伝説が脳裏によみがえってきた。「あれは俺が16、17歳くらい。青森だったかな。空港でみんなが騒いでいるんですよね。飛行機に乗っていたテリーさんがいないんですよね。みんなどこだ? どこだ? 言っても、いないんですよ。どこから出てきたと思います? 荷物が出てくるコンベヤーから回って来たんですから(笑い)テリーさんを見て、空港の職員も何も言えないですよ。スタン・ハンセンも口開けてびっくりしましたね。おかしいですよね。そしたら『もう1回』って言って、また回って行ったんですよ。本当にあの時代だったから、良かったものの」とあきれていた。
それだけでは、終わらなかった。同時期ごろ。今度は南の地で“事件”は起きた。「沖縄の伊良部島だったかな。巡業で行っていたんですよね。僕ら港にいたんですけど、そしたら、テリーさんがどっかで、スーパーカブをその辺で買ったのかな? そのスーパーカブで、ビューって走ってきたんですよ。でも、なかなか減速しなくて、そのまま『おーい』って海へ突っ込んでしまったんですよ。もうボロボロのスーパーカブだったけど」。購入したバイクを即座にダメにする破天荒な振る舞いも見てきた。「本当に、あの人の話言えば1つの本が出来ますよ」と懐かしそうに笑った。
訃報は突然だった。昨年、自身が米ダラスでサイン会を開催した際も、テリーさんと会話をしていたという。テリーさんから「何で俺を日本に呼ばないんだ。呼ばなかったら○すぞってだ」と言われ、「いやいや、呼んでいるよ」と何げないやりとりがあった。「だから、病気だなんて全く思わなかった。周りがアルツハイマー病とか、パーキンソン病とか言っていたけど、信じられなかった」と驚きを隠せなかった。
「兄貴であり師匠」と敬愛してやまない。「あの人のすごさは、オーソドックスなプロレスも、デスマッチもこなす、オールマイティーなところ」と言う。常々言われたことは「諦めるな、夢を諦めるな、最後まで信じろ」だった。大仁田の今の夢は「もう最終的に、電流爆破どうなるか分からないけど、リングでやれるところまでやりたい」と心に誓っている。「今年は難しいかもしれないけど、来年あたり、テキサスの家族に会いに行きたいです」。故人をしのんだ。