山根明さん「日本の選手が泣き寝入りしないためにも力が必要」疑惑の判定対策にロビー活動に力

ボクシング連盟前会長の山根明さん(16年5月撮影)

日本ボクシング連盟前会長の山根明さんが死去した。84歳だった。年末からがんで闘病中だった。

亡くなる2日前、見舞いに伺わせてもらった。「わしは日の丸を背負って、日本のために命を懸けて戦ってきた」。いまわの際でもそう話していた。退室する際には「山根明、日本に帰れと言ってくれ」。そう呼びかけると満足そうにうなずいた。

同連盟会長、名誉会長を歴任したが、過去の反社会勢力との交際を理由に辞任。その後、連盟から除名された。同連盟から離れた後はテレビ番組などにも出演し、“男・山根”の強烈なキャラでバラエティー番組でも活躍した。

最大の功績は12年ロンドン五輪で村田諒太の金、清水聡の銅メダル獲得をバックアップしたことだろう。清水は2回戦でアゼルバイジャン選手を一方的に攻め立てたが不可解な判定負け。一度下された結果は覆らないのが不文律の中で判定を覆させた。

山根さんは生前、「日本の選手が泣き寝入りしないためにも力が必要」と話していた。五輪や世界大会などでは“疑惑の判定”によって日本人に不利な結果がもたらされたことは少なくない。賛否はあるだろうが、山根さんは“ロビー活動”を通して各国の連盟との間にパイプを築き、結果がすべての勝負の世界において理不尽な判定に泣き寝入りしない“力”を作った。

「恩をかければ恩で返してくれる」と全く疑わない考えを持った人でもあった。縁ができた人には毎朝、自身のオリジナルLINEスタンプを送信。人との縁を大切にしていた。そのため、恩をあだで返すと公然と「裏切り者!」と怒声を浴びせた。

物議を醸した「奈良判定」についても、恩をかけた人間が自分と縁のある奈良の選手に有利な判定をするのは「当然」と思っているところがあった。結果、対戦相手に理不尽な結果をもたらすことになった。自分の持つ権力が大きくなりすぎ、周りが忖度(そんたく)をすることにも無頓着だったのかもしれない。

そうした考えの源泉はどこにあったのか。

朝鮮半島出身の両親のもと、大阪・堺市で生まれた。戦後の幼少期に母親と帰国し、ルーツが朝鮮半島にあると知ったが「『この日本人野郎』って石を投げられた」。在日の立場で、日本からも韓国からも受け入れられないつらさを味わい、“力”の大切さを肌身にしみて感じたという。

日本に戻った後は、アマチュアボクシングに関わり、日本代表監督も務めた。日の丸が刺しゅうされたジャージーに誇りを持っていた。韓国でボクシング指導の秘策を聞かれても教えなかった。13年の国体では、ボクシングを観戦された天皇皇后両陛下(現上皇ご夫妻)に従った。「最高の名誉」と喜び、その写真を家宝のように自宅に飾っていた。

日本に生まれ、日本の土に返ることを最期まで誇りに思う人だった。【阪口孝志】