【格闘代理戦争】岡見勇信監督「中村京一郎は出会ってきたファイターの中で一、二を争う強心臓」

ABEMAオリジナル「格闘代理戦争-THE MAX-」で監督を務める岡見勇信。指導する中村京一郎のこと、自身のことを余すところなく語ってくれた

日本のトップ格闘家が監督になり、次代の格闘技界を担う若手選手を推薦し、トーナメントで競わせるABEMAオリジナル番組「格闘代理戦争-THE MAX-」が、いよいよ19日に準決勝を迎える。

今大会の種目は総合格闘技(MMA)で、準決勝の組み合わせは

▼準決勝

中村京一郎(岡見勇信&中村倫也監督)VSギレルメ・ナカガワ(クレベル・コイケ監督)

▼同

中谷優我(青木真也監督)VSトミー矢野(イゴール・タナベ監督)

となった。

中でも異色なのが中村京一郎(25)。高校までは野球部に所属し、甲子園まであと一歩のところに迫ったが、格闘技経験はなし。高校卒業後は海上自衛隊に入隊。もともと好きで見ていたという格闘技を本格的に始めるために21年夏に上京した、打撃が得意のストライカーだ。

そんな中村の監督を務めるのが世界最高峰のMMA団体UFCで活躍した岡見勇信(42)。岡見は日刊スポーツの取材に応じ、準決勝に臨む中村のことや、自身のこれまで、そして今後について語ってくれた。(聞き手・千葉修宏)

-中村選手の次の試合はどのようなものになりそう

岡見 ギレルメ選手は、クレベル選手のファイトスタイルを本当に引き継いでる。柔術という大きなバックボーンがある中で、打撃もしっかりふるっていく。好戦的なファイターなので、MMAとしてもすごくかみ合う試合というか、本当にレベルの高い試合を見せられるんじゃないかと思っています。

-ストライキング能力が高い中村選手だが、それ以外の部分の成長は

岡見 出会ったころは打撃だけの、ケンカ殺法みたいな感じだった。ただ殴るだけで戦ってきてるなっていう。気持ち(の強さ)はその頃から持っていたので、まだまだMMAとしての軸はできてなかったんです。でも2年、3年としっかりと地道にトレーニングして。組み技の部分や、全体としてのMMAの動きがどんどん積み重なっていって。本当にプロのファイターとして、しっかりとみんなに送り出されるような選手になったっていう感じです。

-中村京一郎選手のポテンシャルは、岡見選手とともにダブル監督を務める中村倫也選手(29)と比べてどうか

岡見 倫也はレスリングのエリートですよね。オリンピック直前まで、日本代表直前まで行った男ですから。やっぱり倫也っていうのはすさまじいポテンシャルを持ってますから。(京一郎は)それとはまた別軸というか。野球をずっとやってきて、元々自衛隊でそこから格闘技に行ってという形で、ずっと体育会系の中で育ってきて。トレーニング、自分で勝つ負けるっていう勝負の世界でずっと生きてきた男です。メンタル、心技体の心っていう部分は、僕もいろいろなファイターと出会ってきましたけど、一、二を争う強心臓だと思います。もう試合のたびに、彼(京一郎)から驚かされる。

-気持ちの強さが表れた場面は

岡見 格闘代理戦争1回戦(ブレイキングダウンにも出場しているミスター・ホンデに1R・KO勝ち)でも心配になるぐらい、いつもよりテンション高くて。「試合なんだけど」ということを何度か彼に言ったほど。いるんですよ、試合前、楽しくてワイワイやってても、試合になったら「あれ?」みたいな。ちょっと舞い上がっちゃってるんじゃないかなとか、すごく怖かったんですよ、自分は。それが始まってみれば今まででベストパフォーマンスだったんじゃないかっていうぐらい冷静に、しっかりと仕留めたので。ああいうのを見せられてしまうと、もう何も言うことがない。

-中村選手は自分をしっかり持っている感じが

岡見 自分っていうものをしっかりと持っているので。しっかりとした自分の意見っていうのを僕らに対しても言ってくる。はっきり言うので、すごいなと。

-中村選手の言葉で印象的だったのは

岡見 プロの試合で、正直もうダメだろうって思った場面があって。でも京一郎は冷静に僕らの顔を見ていて。(その試合に勝った後)「岡見さんたち諦めてませんでした?」みたいなことを言ってて。「全然僕は大丈夫でしたから」「なんか諦めてませんでした?」みたいなことを言われてドキッとして。諦めてはないんですけど、やばいってすごい思っちゃって。そこでセコンドとしての声、指示が止まってしまった部分もあったんで。京一郎は試合中に冷静に見てるんだなと。周りを見られる力ってのには驚きましたね。

-今後、中村選手にはどのようになってもらいたいか

岡見 格闘代理戦争で優勝っていうのが第1ですよね。プロのイベントとは違いますけど、たくさんの人に注目される大会の中で、まず優勝する。そこからさらに、どんどん世界へと上っていってほしい。レベルが上がっていけば、なかなか厳しい場面も出てくるだろうし。ただその厳しい場面で、彼がどうまた僕ら驚かせてくれるのか。それもすごく楽しみです。

-一方、岡見選手自身の今後はどのようになっていくのか

岡見 もうキャリアの終盤ですから。自分がどう、誰と、どこのイベントで戦うのかっていうのをしっかり見定めながら日々トレーニングをしてます。あとは後進の指導もして。彼らを世界へ導けるように。まずは体が動く限りは、自分の体で示して、一緒に上の舞台で勝負していきたい。

-話は変わるが、岡見選手は新日本プロレスの入門テストを2度受けている

岡見 昔ほどは見なくなってしまったんですけど、やっぱり(プロレスの)ニュースはチェックしてますね。もともと新日本プロレスで、今、WWEで活躍している中邑真輔さんと一緒にテストを受けたんですよ。2回目のテストで。その後に自分が所属した和術慧舟會で初めて一緒にトレーニングしたりして(中邑は青学大時代から和術慧舟會でMMAの練習もしていた)。「あの時、受けてたの?」っていう話をされて。今はアメリカで活躍している姿を見たり。今、新日本プロレスもどんどんグローバルになっていて。オカダ・カズチカ選手もアメリカに行ったり。そういったものにはすごく刺激を受けてます。同世代のプロレスラーもたくさんいますから。

-1回目の新日本プロレス入門テストは?

岡見 僕が初めてテストを受けたときは、永田裕志さんとマンツーマンだったんですよ。終わった後に、永田さんに「お前はまだ目がなってない」って言われて落とされたんですけど。永田さんも、今でも活躍されている姿を見て、本当に勇気というか、刺激をいただいてます。子供の頃からの最初の夢はプロレスラーだったので、今でもすごく力をもらっています。

-子供の頃に好きだったプロレスラーは

岡見 僕は橋本真也さんが大、大、大好きで。最初に憧れた人です。橋本真也さんって、負けても、負けてもはい上がって、最後に勝つっていう。そういった姿を見て、子供ながらに感動したんでしょうね。今でも橋本真也さんは大好きですね。

-新日本プロレスのテストに2度落ちて、どのような気持ちになったのか

岡見 僕にとってはすごい経験でしたから。新日本プロレスを2回受けて、2回落ちたんですけど。すごい夢の中にいたりとか、落ちたときは絶望したりとか。そこからもう一度プロレスラーになりたいと思って門をたたいたのが総合格闘技の道場だった。まずプロレスがなければ、今、僕はここにいることはなかったです。僕も違う舞台ですけど、僕が戦う姿を見せて、少しでも勇気を持ってもらいたい。僕が子供の頃、橋本真也さんに感じたように。そういった気持ちはやっぱり、ずっとありますね。

-同じテストを受けた岡見選手と中邑真輔選手がそれぞれ世界最高峰の舞台で戦うのはすごいドラマチック

岡見 競技は違いますけど、常にやっぱり刺激を受けてますよね。一歩先、一歩先と中邑さんが、どんどん先に進んでいってるんで。すごい憧れと、そして自分ももっと頑張ろうっていう。年齢は、中邑さんが2つ上で、常に先を行ってくれている。自分も違う道ですけど、本当に頑張っていきたいなっていうふうに思ってます。

◆岡見勇信(おかみ・ゆうしん)1981年(昭56)7月21日、神奈川・藤沢市生まれの総合格闘家。藤沢翔陵高で柔道をはじめ、卒業後は新日本プロレスの入門テストで2度不合格。プロレスラーへの基礎体力作りのために和術慧舟會に入門し、総合格闘技(MMA)の道へ進んだ。長年UFCでトップ選手として活躍し、最高はミドル級3位。プロ通算成績は52試合37勝(11KO、1本勝ちは6回)15敗。11年8月にはUFC世界ミドル級王座戦で王者アンデウソン・シウバに挑戦し、2R・TKO負けを喫した。188センチ、77キロ。