初代タイガーマスクのライバルとして活躍し“虎ハンター”と言われた元プロレスラー小林邦昭(こばやし・くにあき)さんが死去した。68歳だった。
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憧れの“虎ハンター”が亡くなった。1980年代前半、新日本プロレスは全盛を迎えていた。
一昨年に亡くなった総帥のアントニオ猪木さんをして「プロレスブームではない、新日本プロレスブームだ」と言わしめた。
その中心にいたのが、長州力率いる維新軍団の小林さんだった。ライバルだった初代タイガーマスクの佐山サトル(66)が「正体不明の覆面レスラー」とあって、結婚はおろか、日本語をしゃべることすら禁じられる中、小林さんは自由に暴れ回り、マスクを引き裂いた。
子供人気爆発で、テレビ視聴率30%超を稼いだタイガーマスクに対し、精悍(せいかん)なルックスでやり放題の小林さんは男子の憧れ。
そして、女性人気もNo.1で、モテモテだった。
新日本プロレスの審判部長も務め、解説でもおなじみだった山本小鉄さんにかわいがられ、新弟子時代に「好きなだけ食え」と言われて、新幹線の食堂車のメニューにあるものを端から端まで食べてしまったのは、プロレスラーのすごさを表すエピソードとして知られている。
1992年(平4)年に大腸がんを患い手術、99年には肝臓にも転移していた。
00年の後楽園の引退試合は悲しかった。
獣神サンダー・ライガーと戦った後にリング上からあいさつ。長女と次女が泣きじゃくる姿に、こちらも涙をこらえきれなかった。
その後、小林さんは東京・野毛の新日本プロレス道場の道場長に就任。
11、12年に子供の頃からの憧れのプロレス担当となって、小林さんと口をきかせてもらえるようになった。小林さんは道場の壁に得意のイラストを描いたり、塩ちゃんこをふるまったり、楽しそうに仕事をこなしていた。
テレビ朝日の人気バラエティー「大改造!!劇的ビフォーアフター」で古くなった新日本の道場をリフォームする収録が行われた時だ。
人気番組の収録とあって、道場には人があふれていた。そして、道場前にも見学の人がズラリと並んだ。
小林さんは「この光景、懐かしいね。昔は、こんな感じで道場前にファンが詰めかけてたんだよね」と現役時代を振り返った。「女の子もいっぱいたんだよ」と言うので「それを端から端まで、全部いただいちゃったんですか?」と大食いエピソードに引っかけて記者がジョークを飛ばすと「いや、それは…」と2人で大笑いしたのも懐かしい。
プロレス担当を離れても、小林さんとはSNSでつながった。
ある年の誕生日、日付が変わったとたんに電話がかかって来て「お誕生日おめでとう」と祝福してくれた。憧れのヒーロー直々のお祝いに、大感激だった。
その後も、小林さんとは亡きジョニー大倉さんの息子のケニー大倉(51)と大倉弘也(45)のライブ会場で顔を合わせた。
ファンから声をかけられて、丁寧に応対している小林さんを見ると、なにやら誇らしい気持ちになった。
虎と戦い、病魔に打ち勝ってきた小林さん。今は静かに眠ることをお祈りします。ありがとうございました。【2011~12年プロレス担当=小谷野俊哉】