元プロレスラーのグラン浜田(本名・浜田広秋)氏が亡くなったことが16日までに明らかとなった。74歳だった。かつて所属していた「みちのくプロレス」が公式X(旧ツイッター)で発表した。
「グラン浜田さんがお亡くなりになりました。ユニバーサル、みちのく時代は一緒にツアーをまわり、メキシコでもお世話になりました。まだ信じられません。ルチャリブレを日本に広めた功績は大きいです。小さな巨人グラン浜田よ、永遠に。心よりご冥福をお祈りいたします」追悼の意をつづった。
浜田さんの体調に関し、女子プロレスラーで娘の浜田文子(44)が昨年11月、自身のSNSで「グラン浜田は11月の上旬からかなり危険な状態とお医者さんから言われています。11月16日に喉と、お腹にメスを入れて、酸素と栄養材を入れています昭和のレスラーグラン浜田は本当に強いです」と公表。今月5日にも文子が「昨年と今年にグラン浜田は2度の手術を受け、昨年末に退院予定でしたが、日本時間の1月31日の金曜日に退院。今は浜田家の皆と大好きな日本のテレビ番組を一緒に見ながら毎日元気よく回復に向かって過ごしています。ご飯も少しずつですが、食べれるようになりました」と報告していた。
グラン浜田氏は1950年(昭25)11月27日生まれで、前橋市出身。72年に旗揚げ前の新日本プロレスに入門した。同年3月16日、本名の浜田広秋のリングネームで藤波辰巳(現辰爾)戦にデビュー。「リトル浜田」に改名し、167センチと小柄ながら軽快な動きで活躍した。75年には「グラン浜田」に改名し、メキシコへ修行に。グラン浜田の実績により日本とメキシコのプロレス交流が確立し、ルチャリブレが日本にも伝わった。
帰国後は、84年4月に新間寿氏が設立した「ユニバーサルプロレス」(UWF)の旗揚げに参加した。同団体消滅後は、95年にみちのくプロレスに入団。01年にフリーとなり、以降は新日本プロレス、大阪プロレスなどに数多くの団体に参戦した。
17年には前立腺がんを公表し、18年には脳梗塞を発症した。19年以降は再びメキシコに移住していた。