西村修さん告別式で恵夫人が「夫はすべて受け止めてくれて。本当に我慢強かったです」と感謝

SANADA(左から2人目)、藤波辰爾(左から3人目)、小島聡(右端)、新崎人生(右から3人目)らレスラーたちによって運ばれる西村修氏の棺(撮影・中島郁夫)

プロレスラーと文京区議会議員の二足のわらじで活躍し、がんとの闘いの末に2月28日に53歳で死去した西村修さんの葬儀・告別式が8日に東京・護国寺で行われ、多くのプロレスラー、政界関係者が訪れた。喪主を務めた恵夫人がメディアに対応し、西村さんが亡くなった時の様子について語った。

実は西村さんは3月4日に退院することが決まっており、死去した前日の2月27日までは普通に病院で過ごしていたのだという。恵夫人は「もう完全な急変で。27日に私も病院に行ったんですけど、普通に起き上がってましたし『また明日』っていう言葉を交わしました」と振り返り、「それで次の日(28日)、朝、電話があって。急変したんで、呼吸が止まりましたけど、心臓マッサージをしております、ということで。それで(病院に)向かったしだいです。行った時には(西村さんの体は)温かいうちでした」と説明した。

恵夫人は1月31日に行われた「ジャイアント馬場没25年追善大会」に、もともと出場予定だった西村さんの代役として“師匠”藤波辰爾が参戦した時のことにも触れ「自分は入院しちゃって(会場の後楽園ホールに)行けないので、藤波さんにありがとうということと(たもとを分かった時の)謝罪の旨を伝えてほしいと言われまして」と、西村さんからの伝言をあずかって後楽園を訪れていたことを明かした。

そこで初めて藤波との対面を果たした恵夫人は「もしかしたら会ってくれないかもしれないという心配もありました。でも本当に優しく『そういうことは全く気にしてないから、この試合に自分は出たんだよ』と言っていただいて。もう本当に行って良かったなって思いましたし、感謝でいっぱいでした。夫も安心したと思います」と話した。藤波からは「いつでも病院にお見舞いに行きますよ」という言葉ももらっていたそうだが、すでに西村さんの退院が決まっており、病室で管がつながれた状態で会うのは失礼だという西村さんの意向で、病院での再会は実現しなかった。

恵夫人は生前の西村さんについて、涙ぐみながら「本当に我慢強かったです」と形容した。「私、すごくうるさいんですよ。夫にもグチグチ言うし、そもそもずっとしゃべっている感じで。ストレスためたんじゃないかなと思うくらい、私、怒りんぼだったんですけど。夫って本当にそれに対して受け止めてくれて。病気の時もあんなに痛いのに、痛いとか、弱音とか吐かなくて。看護師さんにも、『すみません、何度も呼んじゃって』とか言っちゃうくらい我慢強かった」と述べて、すべてを受け止めてくれた西村さんに感謝していた。【千葉修宏】