【新日本】引退の天山広吉「やり切った」決断理由は「対価として見せられる自信なくなった」

引退会見を行う天山広吉(撮影・野上伸悟)

新日本プロレスの“猛牛”として暴れ、小島聡とのタッグ「テンコジ」でも一世を風靡(ふうび)した天山広吉(55)が11日、8月15日に行われる両国国技館大会での試合を最後に、リングを去ることを表明した。現役引退後も新日本プロレスに所属しながら芸能活動などをしていく方針だ。モンゴリアンチョップなどでファンをわかせた人気レスラーが最後の雄姿を見せる。

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天山は新日本の棚橋弘至社長とともに都内での記者会見に出席。引退決断の理由について「プロレスラーとしてリング上で最低限、見せなきゃいけない。お客様に高いお金を払ってもらって(自分の闘いを)対価として見せられる自信がなくなった時があって。ここ何カ月いろんなことを考えたんですけど、最後の試合をしっかりできるようにコンディションを整えていきたいと思っています」と説明した。

新日本での思い出について聞かれると「90年の3月に入門したんですけど、2日目で夜逃げしたんですね。戻ってきたのがちょうど今日と同じ5月11日。それから今まで35年間、嫌なことばっかりありましたね。新弟子時代は」と笑顔を見せ、「橋本(真也)さん、ライガーさん…すごい人がいっぱいいた時代で。長州(力)さん、藤波(辰爾)さんとか」と懐かしそうに振り返った。

そんな中でも1番は「チャンピオンになったり、G1クライマックスに初優勝した時は最高にうれしかった」といい、「プロレスラーとしてすべてやり切ったかなと思います」とかみしめるように話した。

引退試合はシングル戦を希望。対戦相手については「社長と言いたいところですけど」と隣の棚橋社長をチラリと見てから「あえて名前はあれですけど“いっちゃうぞ”かな」と、小島との一騎打ちを示唆した。

天山は欧州への武者修行をへて、95年に帰国すると本名の山本広吉から「天山広吉」へと改名。蝶野正洋との「狼群団」、そしてプロレス界を席巻した「nWoジャパン」「TEAM 2000」で活躍。“夏男”として「G1 CLIMAX」を3度制し、IWGPヘビー級王座も通算4度獲得した。「テンコジ」は史上最高コンビとの呼び声も高い。

キャリアの後半は首や腰などの深刻なケガとの闘いでもあったが、若手選手のお手本、理解者として、最後まで存在感を示した。

◆天山広吉(てんざん・ひろよし)本名は山本広吉。1971年(昭46)3月23日、京都市生まれ。学生時代からボディービル、バスケットボールで鍛え、91年1月の松田納(現エル・サムライ)戦でデビュー。03年8月にG1初制覇。同年10月にはIWGPヘビー級王座奪取。G1は3度優勝、IWGPヘビーは4度戴冠した。小島聡とのタッグ「テンコジ」ではIWGPタッグ王座を6度獲得した。183センチ、115キロ。得意技はアナコンダバイス、モンゴリアンチョップ、TTDなど。