大相撲で序二段から史上初の再入幕を果たした大関経験者で東前頭17枚目の照ノ富士(28=伊勢ケ浜)が9日、報道陣の電話取材に応じた。初日まで10日後に迫った開催を目指す7月場所(東京・両国国技館)に向けて「(5月)場所がない分、暴れてやろうという気持ち」と待ち切れない様子だった。

この日は都内の部屋で、平幕の宝富士と十両翠富士を相手に20番ほど相撲を取ったという。「最近の中では多い方かな。基本的には復活してからは10番以上はあんまり取っていない」と負傷した両膝などの影響から稽古量を抑えてきたというが、「ちょっとずつそういう稽古が出来るような体にしていかないといけない」と、この日は稽古に熱が入った。

自粛期間中は、自身の過去の取組映像などを見て過ごしてきたという。「何回も見た。見飽きたというか。たまに優勝してイケイケだった時期のビデオを見たりしてモチベーションを高めたりする時もある」という。外出はできないがストレスはたまっていない。

「(外に)出たりして(新型コロナが)うつったら、それこそ周りにも迷惑なるし、自分としてもやっとここまで来られたのに、何でこんなばかことしたんだろうって後悔すると思う。だからこそ、しっかり前向きにとらえてやっていこうと思う」と話した。

15年夏場所後に新大関に昇進した。5年間で幕内優勝を経験しながらも、両膝の負傷や内臓疾患などで序二段まで番付を落とすなど、波瀾(はらん)万丈の相撲人生を送ってきた。酸いも甘いも知る照ノ富士は「いい経験もできて、きつい記事もあって。いろいろ勉強した時かなと思う」と振り返った。

19年春場所で序二段まで陥落した時には「その時はやめようと思ってましたから。その時っていうか、大関から落ちた瞬間にやめようと思ってましたから。(伊勢ケ浜)親方にも何回も『やめさせて下さい』って言いに行ったし、そういう時期があって、相撲もまったく見ないで2年間住んでましたから。完全にここから離れて、生活しようと思っていましたからね」と角界を去るつもりだったと明かした。

それでも伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)からの懸命な説得などもあり「とりあえずは体を治してから話しようと親方に言われた。相撲から1回離れて、自分の体と向き合って、治せるものであれば治したいと思ってやっていた。自分と今の事実を受け入れて、それでやりきろうと思ってました」と奮起。4場所連続全休明けとなった19年春場所から土俵に上がると、東十両3枚目だった今年3月の春場所で10勝を挙げて再入幕した。

今年開催予定だった東京五輪開催までに、幕内に復帰することを目標にしていた。次の目標に向けては「(東京)五輪が7月だし、7月場所で幕内にいっておきたいと目標を立てて頑張りました。次の目標は、とりあえずは上位と対戦したいというのをね」と横綱、大関陣との対戦を掲げた。7月場所は開催したとしても無観客が濃厚だ。

「こういう時期だからこそ、やっぱり色々あったから、乗り越えてきて自分だから言えることもあると思う。そういった、みんなに我慢ということを相撲でちょっとずつ伝えていきたいなと思っている」

テレビの前で応援してくれるであろうファンに向けて、今の自分の全てを見せる。【佐々木隆史】