37歳元時天空、無念の引退から半年…命も奪われた

12年3月15日 稀勢の里(左)をけたぐりで破る

 大相撲の元小結時天空の間垣親方(本名・時天空慶晃=ときてんくう・よしあき)が1月31日午前1時12分、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去した。37歳だった。突然の訃報に、師匠の時津風親方(元前頭時津海)は「残念で仕方ありません」と無念さを語った。

 現役だった15年7月、右脇腹に痛みを覚えた。当初は「あばら骨のヒビ」。秋の再検査で悪性リンパ腫と診断された。復帰を目指して抗がん剤治療を行い「モルヒネを打ったら痛みに負ける」と鎮痛剤を拒んだこともあった。腫瘍は小さくなった。だが、体力が戻らず、5場所連続全休の末、昨年8月に引退した。それでも会見では「元気です」と話し、翌秋場所で花道警備などの業務もこなした。

 ただ、千秋楽後に時津風親方が聞くと「『疲れた』と言っていた」。10月半ばに体調が悪化。「腰が痛い。足が不自由になってきた」と話し、昨年11月から自宅療養に入った。1月30日午前中に急変し「呼吸が苦しくなった」と訴えて病院へ搬送。親方は午後2時半ごろに訪れて「声をかけたら2回ぐらい目を開けた。呼吸が苦しそうだった」。入門時の師匠で先々代時津風親方(元大関豊山)の内田勝男氏や部屋の力士らも1度、病院を訪れた。31日午前1時12分、最期は家族にみとられた。遺体は午前3時ごろ、部屋に戻った。

 間垣親方は当初、農業の勉強のために来日。東農大1年時に全国学生体重別で優勝してプロ入りを決意した。大学2年の02年名古屋で、22歳で初土俵。それでも先々代親方との約束から中退はしなかった。04年1月に関取昇進と同時に達成した卒論は、モンゴル農村部の過疎化をまとめた「システムダイナミックスによるモンゴルの人口動態に関する研究」。外国出身では異例の学士力士だった。

 入門後はけたぐりや二枚蹴り、蹴返しなど得意とする足技で土俵を沸かせた。横綱戦勝利は07年春、新小結の初日に朝青龍を送り倒しで破った1度。07年九州には4大関を総なめした。

 引退会見では「まだまだいっぱい習いたいこともあった。できなかった分、若い人たちに指導しながら、共に成長していきたい」と話していた。しこ名の由来はモンゴルの青い空。思い半ばに、空へと旅立った。

 ◆時天空慶晃(ときてんくう・よしあき)本名同じ。1979年9月10日、モンゴル・トゥブ県生まれ。00年3月にモンゴル農大を休学して東農大へ留学。02年名古屋場所初土俵から序ノ口、序二段、三段目と昭和以降3人目の3場所連続V。22連勝は史上4位タイ。04年春に所要10場所で新十両、同名古屋で新入幕、07年春に新小結。14年1月に日本国籍を取得。悪性リンパ腫を患い、16年8月に引退して年寄「間垣」襲名。小結3場所。通算548勝545敗56休。技能賞1回。家族は両親と姉、妹。得意は右四つ、柔道経験を生かした足技。185センチ。