稀勢の里 三国志、アメフトで戦略学ぶ頭脳派/連載

10年11月、寄り切りで白鵬(手前)を破った稀勢の里

<誕生 横綱稀勢の里12:歴代担当記者が語る>

 稀勢の里の横綱昇進で、1つの“伝説”が継承された。10年九州場所2日目。東前頭筆頭だった稀勢の里は、史上2位タイの63連勝中だった白鵬から金星を挙げた。39年に史上最長69連勝の双葉山を破った、当時前頭3枚目の安芸ノ海は後に横綱まで上り詰めた。63連勝の江戸時代の横綱谷風は小野川、53連勝の千代の富士は大乃国と、ともに横綱に敗れている。50連勝を超える記録は、最終的に横綱となる力士に止められる歴史が続くことになった。

 後に稀勢の里が、連勝中の白鵬の映像を繰り返し見て、くせや心理状況などを分析していたことが判明した。その研究心が培われた要因として、当時の師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)は、中国への研修旅行を挙げていた。当時の鳴戸部屋は2年に1度ほど、北京や上海、西安などへ4~6泊、力士や裏方がこぞって出掛けていた。出発前に現地の歴史などを全員で学び、稀勢の里も「三国志のころの戦術とか勉強になることが多い」と話していた。

 戦略が重視されるアメリカンフットボールも好んで観戦。努力はもちろん、頭脳派の一面も新横綱の魅力だ。【10~11年大相撲担当・高田文太】