五輪までは現役で!白鵬部屋創設へ日本国籍取得考え

白鵬(中央)は玉鷲を寄り切りで下し、歴代通算1位タイとなる1047勝目を挙げた。右は浅香山親方(元大関魁皇)(撮影・小沢裕)

<大相撲名古屋場所>◇12日目◇20日◇愛知県体育館

 大相撲の横綱白鵬(32=宮城野)が関脇玉鷲を寄り切り、通算勝利歴代1位となる魁皇の1047勝に並んだ。01年春場所の初土俵から、魁皇より42場所早く達成。唯一の1敗を守り、早ければ明日14日目に2場所連続39度目の優勝が決まる。モンゴル出身の大横綱は近い将来、日本国籍を取得する考えを持っていることが、関係者の話で分かった。日本国籍を取得できれば、引退後は親方として日本相撲協会に残る見通しが立つ。

 ついにこの瞬間が訪れた。土俵下には元大関魁皇の浅香山審判員が座っていた。白鵬は「見えたけど下向いてた」と振り返るほど落ち着いていた。ただ「落とせない気持ちだった」。激しい右のかち上げに、力いっぱい左右の張り手。前日の負けを拭い去るように寄り切った。「言葉に言い表せられない。去年1年間苦しいものがあった。それが大記録につながった。一味も二味も味がおいしい。すんなりきたら、ここまではなかった」。表情は穏やかだった。

 角界のトップを走り続け、すでに将来を見越しているようだ。白鵬は公の場で明言していないが、関係者によると近い将来、日本国籍を取得する意向だという。父ムンフバト氏は、モンゴル初の五輪メダリストで国民的英雄ということもあり、息子の国籍変更は同国では想像以上の大問題。モンゴル国籍のままでは親方になれず、大相撲への思い入れが強い白鵬は悩み続けてきた。

 取得すれば、年寄名跡を取得するために必要な条件で唯一、満たしていなかった「日本国籍を有する者」をクリアする。すでに史上1位となる38回の幕内優勝を果たしており、日本人になれば日本相撲協会から「一代年寄」を贈られる可能性は高い。著しい功績があった横綱だけに与えられるもので、引退後も現役時代のしこ名のまま「白鵬親方」として弟子を指導できる。

 すでに平幕石浦、十両山口、序二段炎鵬を内弟子として抱えている。「白鵬部屋」創設となれば、3人とともに現在の宮城野部屋から独立する。「銀座に部屋を持ちたい」と、語ったこともあった。師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)も、白鵬の思いを察している。「横綱が今後目指すべき目標は?」と聞かれると「若手を育てたいという気持ちがあると思う」と話した。

 今日13日目の高安戦では、通算勝利数の新記録に挑む。今場所を制すれば、優勝40回に王手がかかる。「東京五輪までは現役でいたい」と常々口にする。まずは大横綱として、さらに相撲道を究めていく。【佐々木隆史】

 ◆一代年寄 日本相撲協会に以前から登録された105の年寄名跡(俗称親方株)のほかに、著しい貢献のあった横綱の功績をたたえて贈られる名跡。幕内優勝20回が目安とされ、個人1代限りにおいて年寄として待遇される。68年8月に大鵬、85年1月に北の湖、03年1月に貴乃花に贈られた。89年9月に千代の富士も理事会で提案されたが、本人が辞退した。年寄名跡の襲名資格には、「日本国籍を有する者など」の条件がある。

<主な外国出身力士の日本国籍取得>

 ◆一般的に、年寄名跡の取得を見越して、現役中に手続きを行う。

 ◆第1号関取 初の外国人関取になった、ハワイ出身の元関脇高見山は80年に取得。84年夏場所で引退後、年寄「東関」を襲名して86年に部屋を創設。横綱曙、小結高見盛らを育てて、09年6月に定年退職した。

 ◆養子 元関脇旭天鵬は05年6月にモンゴル人力士として初めて取得し、当時師匠だった大島親方(元大関旭国)の養子になった。15年名古屋場所で引退して「大島」を襲名。今年の夏場所後に「友綱」を継承して、モンゴル出身力士で初の師匠(部屋持ち親方)になった。

 ◆欧州初 14年に元大関琴欧洲が、欧州出身力士として初めて取得。15年に年寄「鳴戸」を襲名した。部屋付きの親方として、佐渡ケ嶽部屋に所属していたが、独立して4月1日付で鳴戸部屋を新設した。