稀勢の里が屈辱的5日目4敗、出場続ける判断できず

嘉風に押し倒しで敗れて土俵下に転げ落ちる稀勢の里(撮影・丹羽敏通)

 横綱稀勢の里(31=田子ノ浦)が、記録ずくめの屈辱的な黒星を喫した。東前頭2枚目の嘉風に押し倒されて4敗目。横綱が5日目までに4敗を喫するのは1953年3月の千代の山以来65年ぶり。同一横綱が2場所続けて3日連続で金星を配給したのは1930年10月場所と31年春場所の宮城山以来87年ぶりとなった。

 土俵際で粘った分だけ、勢いよく落とされた。背中から落ちた稀勢の里は、1回転して土俵下ではいつくばった。嘉風に心配され、手を差し伸べられた。屈辱的なシーンの連続が、横綱としては不名誉な記録を次々と更新する黒星を物語っていた。同一横綱としては87年ぶりとなる、2場所続けて3日連続の金星配給。さらに横綱では65年ぶりとなる5日目で4敗目-。伏し目がちに花道を引き揚げるしかなかった。

 立ち合いから流れをつかめなかった。得意の左差しを封じられ、強引に前に出ようとしたところをいなされ、前のめりになった。さらに相手の突き放しに、冷静さを欠いたように突き返すと、がら空きになった両脇にもろ差しを許したまま土俵際まで追い込まれ、万事休す-。支度部屋に戻ると、無言を貫いた。

 嘉風とは出稽古などで今月8日に9勝1敗、翌9日に12勝2敗と圧倒した。8日に「手応え」を感じたといい、9日に再び訪れたのは「(手応えを)確信に変えるために来た」と説明。嘉風と稽古した理由は「当たりも強いし低いし、確認するにはもってこい」だという。調子のバロメーターとしていた相手に完敗し、現在の状態の悪さを露呈する結果となった。

 この日の朝稽古後は「やると決めたら、最後までやり抜く」と、この日の出場だけでなく、今場所の完走を誓っていた。調子も「悪くない」と明言していた。

 今場所前は、弟弟子の大関高安と連日30~40番こなし、ぶつかり稽古では泥まみれになった。横綱らしからぬ姿だが、先代師匠(元横綱隆の里)に指導を受けた大関昇進前の猛稽古を思い出し、爽やかな笑顔を見せていた。もともと14年初場所千秋楽で休場するまで、初土俵から953回連続出場と休場とは無縁の土俵生活。原点回帰を復活につなげたい思いが「やり抜く」という発言につながったのかもしれない。

 取組後は部屋に戻り、約10分滞在した。師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)と6日目以降の出場について話し合ったとみられるが、同親方は「今日は(報道陣に)話さないから」と、結論は明言しなかった。【高田文太】