黄金の左、のど輪落とし/輪島さん波瀾万丈人生

77年3月、春場所での輪島さん

第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。

<輪島さん波瀾万丈人生>

◆虫嫌い 1948年(昭23)1月11日に石川県七尾市に理髪業の輪島家の長男として生まれる。4500グラム。ケガをすると家族は反対も石崎小3から相撲の町内大会などで優勝。香取中では野球部も相撲も稽古し、1年の奥能登、3年の県大会で優勝。蛇、カエル、ミミズと虫嫌い。東京五輪石川県聖火ランナー。

◆サイン稽古 金沢高では岡大和監督宅に下宿して1年で山口国体を制し、高2の夏に大鵬親方らから勧誘される。「有名になる」とサインを練習し、このため本名で通したともいわれる。監督の薦めで日大進学で新人戦優勝。3年で初めて学生横綱になる。

◆貴ノ花圧倒 日大時代に当時新十両で親友となる貴ノ花(初代元大関)に稽古で2勝1敗と勝ち越し。当時の二子山親方(元横綱若乃花)が貴ノ花に「関取の白まわしを締める資格がない」と激怒。2年連続学生横綱など大学通算14冠を引っ提げ、合宿所隣で気心知れた元前頭大ノ海の花籠部屋に入門。

◆快進撃 花籠親方は雑用を免除し、食事は親方宅、大部屋は3日で日大合宿所の2人部屋に戻った。70年初場所幕下尻付出で誕生日にデビューし、日大応援団も駆けつける中で7戦全勝優勝。「蔵前の星」と呼ばれ連続全勝優勝で夏場所最速新十両昇進。ザンバラが目に入ると美容室でパーマをかけ怒られた。

◆特例懸賞 70年夏3日目にプロ初黒星で連勝は16でストップし、名古屋で初負け越し。秋はライバルだった東農大出身の長浜(のちの小結豊山)と5戦全勝で対決。観客投票で幕内にかける懸賞の森永賞が特例でつき、この一番を制して13勝で十両優勝を飾る。

◆最短V 71年初に新入幕を果たし、夏は11勝で初の敢闘賞。72年初場所は新小結で北の富士から横綱初勝利し、初の殊勲賞となる。夏に関脇で12勝を挙げて最短15場所で初優勝を飾る。学生相撲出身では山錦以来42年ぶり。

◆貴輪時代 72年秋の千秋楽は貴ノ花と水入りの一番を制して、13勝の準優勝で貴ノ花と大関同時昇進し、貴輪時代到来といわれた。昇進を機にしこ名を博から大士に改名。63勝で初の年間最多勝。豪華マンションに住み、リンカーン・コンチネンタルを乗り回し、外国製腕時計をして、プロ野球や芸能人と交流した。引退後の81年、2人はそろって資生堂のテレビCMに出演した。

◆稽古嫌い 稽古が嫌いで、まだ若手の千代の富士が1度出稽古に来ると、部屋に入る前に「帰れ」と追い返した。腰が軽くなるといわれたランニングを導入。二子山親方が「マラソンで強くなるなら(メキシコ五輪銅の)君原は大横綱だ」と吐き捨てたという。貴ノ花は「本当に稽古しないのに強く天才」と言った。

◆本名横綱 73年春の13勝まで3場所連続準優勝で、夏に初の全勝優勝で54代横綱に昇進。学生相撲出身、本名の横綱は史上初で、石川出身は阿武松以来145年ぶり。秋に全勝で横綱初優勝。九州は貴ノ花を下して12連勝も、右手指の間を3センチ裂いて6針縫う。13日目に負けたがV4が決定し、14日目から2日間休場と史上初めて休場して優勝となった。

◆黄金の左 75年春から3場所連続休場した。秋から気分一新して黄金の締め込みに替え、「黄金の左」と呼ばれるようになった。78年から休場が多くなり、この年は優勝なし。80年九州では外出を控えて体力温存し、最後となる14度目の優勝となった。

◆親方廃業 師匠が定年を迎える81年春は3日目で引退し、12代目として花籠部屋を継承した。審判委員などを務め、82年夏には輪鵬、花ノ国が新十両など4人の関取を育てた。85年11月に実妹が年寄名跡を借金の担保にし、2階級降格と無期限謹慎処分。借金4億円などで12月に廃業し、力士らは放駒部屋に移籍した。

◆転身 86年4月に全日本プロレスに入門し、米国やプエルトリコで修行。8月に米国でジャイアント馬場とタッグを組んで白星デビュー。11月に地元石川で国内デビューし、凶暴さで鳴らすタイガー・ジェット・シンとシングルで対戦。両者反則で引き分けも場外乱闘にもひるまなかった。

◆存在感 レスラー時代の必殺技はゴールデン・アームボンバー(のど輪落とし)。初のテレビ中継の視聴率は20%を超えた。87年にはリック・フレアー、スタン・ハンセンとタイトル戦でも対戦し、元前頭の天龍から妥協なき攻撃を受けて語り草に。88年12月に体力の限界で引退した。

◆家族 留美夫人と1女1男。長男大地さんは17年夏の甲子園に天理高の一員として出場。準々決勝明豊戦に2番手投手として登板した。