貴景勝、元師匠と比較されて「全然話になりません」

優勝賜杯を手にする貴景勝。右はバンザイする父佐藤一哉さん(撮影・鈴木正人)

<大相撲九州場所>◇千秋楽◇25日◇福岡国際センター

小結貴景勝(22=千賀ノ浦)が、悲願の初優勝を果たした。東前頭3枚目の錦木をはたき込みで下し、2敗で並んでいた大関高安が結びの一番で関脇御嶽海に敗れたため、優勝決定戦に持ち込まれる前に決まった。場所前には元師匠の元貴乃花親方(元横綱)が、日本相撲協会を退職。所属先、師匠、生活…と何もかも変わる苦難を乗り越え、ニューヒーローが3横綱不在の場所を締めくくった。自身3度目の殊勲賞と2度目の敢闘賞も獲得した。

長く、長く感じた73秒間だった。結びの一番の映像が流れた支度部屋のテレビに、貴景勝は背を向けたままその時を待った。四股を1度だけ踏むと、両手を腰に当てて仁王立ち。長い相撲が終わった瞬間、付け人から高安が負けたことを知らされた。表情は変わらない。それでも支度部屋で兄弟子の貴ノ岩と、握手を交わして抱き合うと、少しほおが緩んだ。

負ければ優勝を逃すか、決定戦に持ち込まれるかの一番。プレッシャーがないはずがなかった。先につっかけたのは貴景勝。2度目の立ち合いでふわっと立つと、土俵際に追い込まれた。足が滑って両足がそろい、前のめりになった。万事休すかと思われたが、錦木の体にひっかかって残ると、一気に前に出てはたき込んだ。「弱い自分が昨日の夜から何度も出てきた。それでも諦めずにやって良かったと思います」と、今場所初めて弱音を吐いた。

苦労の22年間だった。生まれた時から体が大きかったわけでもなく、相撲を始めた小3時の体重は30キロ。相撲クラブの関係者や同級生からは「お前みたいなチビに何ができんねんという感じだった」と鼻で笑われる日々。それでもやめなかった。「父親が本気やったから。俺を信じてくれたから」。父一哉さん(57)が稽古や食事トレーニングに付き合ってくれ、埼玉栄高では全国7冠に輝くほどの力士となった。

18歳だった14年秋場所で、一哉さんが昔からのファンだった元貴乃花親方の旧貴乃花部屋に入門して4年。「偉大な師匠」という先代親方の記録より約3歳遅れながらも、年6場所制となった58年以降では6位となる若さで優勝。元師匠に少し近づいたようにも思えるが「全然話になりません。比べるのも申し訳ない」と謙遜した。

場所前は元師匠が日本相撲協会を退職して、貴乃花部屋の消滅で千賀ノ浦部屋に移るなど周囲の環境が大きく変わった。それだけに「結果を何よりも出さないといけないと思った」と22歳ながらに背負い込んだ。その中で果たした初優勝だが笑顔はない。「うれしいけど笑う必要はない。力士だから。次の場所は始まっている」と余韻に浸ることなく、もう前を向いた。【佐々木隆史】