貴景勝 伝達式「自分が志す言葉入れたい」一問一答

大相撲春場所の一夜明け会見で本紙を手に撮影に臨む貴景勝。右は千賀ノ浦親方(撮影・小沢裕)

大関昇進を確実にした関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)が栃ノ心との“大関入れ替え戦”を制した春場所千秋楽から一夜明けた25日、東大阪市内のちゃんこ店「新(あらた)」で師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)と一緒に会見を開いた。

以下は一問一答。

  ◇   ◇

-今はどんな気持ちか?

貴景勝 もう少し疲労を抜きたいのと、本当にホッとした気持ちです。場所の後半からいろんなことを考えました。いい経験をさせてもらったと思います。

-疲れたか?

貴景勝 まあ今場所に限らず、疲れるのは毎場所で当たり前ですが、少し精神的に。

-千秋楽の一番はどんな気持ちで?

貴景勝 自分が勝っているものは何か、よく考えて。(栃ノ心とは)体の大きさも違うし。自分の持っている武器を出して、負けたなら負けたで。自分の相撲を貫こうとだけ考えていた。

-勝った瞬間は?

貴景勝 まず15日間(相撲を)取り終えたという感情が最初に浮かんだ。体全体の力が抜けて動かないような。(昨年九州場所で)優勝した時は頭が真っ白になりましたけど、今回はだるくなるような感じでした。

-その後、土俵下に腰を落としてからは?

貴景勝 (逸ノ城に負けた)14日目の夜から朝までの時間が大切でしたし、部屋に戻っていろんなこと考えた。まあ、自分の相撲を取りきるしかないと。後は15日間、ケガなく千秋楽までできたこと。昨年(の春場所)はケガして休場している場所でもあるので、体のメンテナンス、ケアしてきて、多くの人に支えられてきた。そういう人たちのために最後は勝ちたいなと思っていた。

-14日目、敗れた相撲はもろ手突きでいった。何か考えたことがあったのか

貴景勝 突き放してと。特に考えはなかったけど、体がとっさに動いた。直感に任せて動いた。負けたのはもろ手突きでいったから、頭からいかなかったからというのではない。頭からいってても負けたかもしれない。相手(逸ノ城)が強かったから負けたと思っている。

-15日間を振り返って

貴景勝 序盤戦に3勝2敗になったんで。横綱大関と取る前に。情けなさもあったけど“どうせ負けるなら、自分の相撲をとって負けよう”と思った。序盤戦で2敗したことが逆に良かったかもしれない。

-ただその後、連敗(11日目の白鵬戦、12日目の豪栄道戦)もあって考えることもあったのでは

貴景勝 横綱、大関に負けてたら大関になれない。残り3日、相手はだいたいわかっていたし(13日目=高安、14日目=逸ノ城、千秋楽=栃ノ心)何としても取り返そうと思った。

-今場所1番きつかったことは

貴景勝 負けた時の花道で、子どもとか、タオルを振ってくれている人とかシュンとしていたこと。

-その中で支えになったのは

貴景勝 もちろん、師匠や周りの人。千賀ノ浦部屋でやってきて、快適な相撲に打ち込める環境を作っていただいた。関取衆も。1人では稽古できないし、体のメンテナンスとかも。

-大関昇進を決めた、昨年九州からの3場所はどんな場所だったか

貴景勝 初優勝は何も知識がなく、勢いの部分もあった。1月(の初場所)は新関脇で、横綱、大関と疲労が出てくる後半で当たるようになった。それは初めての経験。千秋楽(の豪栄道戦)でああいう情けない相撲をとって“3月場所の千秋楽は絶対にこういう終わり方をしたくない”と思った。短い期間で急に強くはなれないけど、自分の力が出やすい筋肉の持っていき方とか、精神の持っていき方とかをあらためて考えた。まあ精神的な部分が大きかったかなと思う。

-先場所から今場所までは重圧や、いろんなものがあったのでは

貴景勝 やっぱりチャンスは何度も巡ってこない。いろんな人が「またチャンスは来るよ」と言ってくれますが、やってる方からしたら、何回も来るとは思っていないので、何としても(大関昇進を)ものにしたいと思っていた。

-地元関西の場所で大関をかけて戦ったことは

貴景勝 昨年(の春場所)はケガをして“このままでは幕内上位で戦っていけない。体が壊れる”と教えてもらった。それが本当に自分の中で大きかった。初優勝につながった。今年はご当所でもあるし、たくさんの人が応援してくれて、力になった。

-師匠に。今の心境は

千賀ノ浦親方 九州場所の優勝と違って「10番勝てば…」ということがあったので、ドキドキした。千秋楽は“世紀の一番”。そこで自分の相撲をとれる。精神的にも肉体的にもすごいと感じた。貴景勝は突き押し相撲だけど、連敗しない。普通、押し相撲はするんですけどね。2連敗したときは稽古場で2、3言話し掛けましたけど。自分で考えてやっているので、気持ちよく稽古できるようにやってきた。

-水曜日は伝達式

千賀ノ浦親方 なかなか誰でもできることじゃない。私も緊張している。

-どんな大関になってほしいか

千賀ノ浦親方 どんな大関というより、今の貴景勝の相撲でいいんですよ。もっともっとパワー、スピードをつけてね。“押し相撲と言えば貴景勝”と言われるような力士になってくれたらいい。

-再び貴景勝関に。水曜日に(日本相撲協会からの)使者を迎えることになるが、どんな気持ちか

貴景勝 しっかりした気持ちで臨んで、いい経験をさせてもらいたい。

-どんな口上を

貴景勝 自分が志す言葉、救われてきた言葉を入れたいと思っている。

-どんな大関になりたいか

貴景勝 力士だったら次の番付(横綱)を目指すのが当たり前と思う。そういう気持ちでいかないと、大関は張れないと思う。どういう大関というより、さらに上を目指してやっていきたいと思う。もっとこの相撲を、まわしのとれない突き放して、突き放してというのをもっとやっていきたいと思う。

-新しい元号になるが

貴景勝 平成最後の場所だけに優勝を目指したけど、実力不足でできなかったけど、場所前から(大関昇進は)決めたい、と思っていた。平成最後の場所で、悪い成績を残したくないとすごく思っていた。

(以上、代表質問)

-場所前から大関に、と公言して、重圧を乗り越えてそれを果たした気持ちは

貴景勝 今までは、あえて場所前に「次」ということを意識しなかった。平幕の時は「三役」と言わず「次の番付」という言い方をしてきた。今回初めて、具体的に「大関」という言葉を出したのは、大関の資質というのは重圧を正面からはね返せるものがないと、思ったので。自分でさらに(重圧を)かける、そしてそれをはね返さないとなれないな、と思ったので。自分で「圧」をかけた分、場所で精神的に来るものは大きかったけど「今後にこれは必ずいい経験になる」と感じた。

-初優勝時と比べて、周囲の反響は

貴景勝 初優勝の時は誰も「する」と思ってないし、あれよあれよで自分でもビックリしたし、実感わかなかった。今回はやっぱり数字(10勝以上)だったので。優勝の時は「優勝した、その日」という感じだったのが、今回は「あと何番、あと何番」で、後半に向けて高まってきた。(期待してくれる)周囲にも、自分の夢にも答えたかった。優勝の時より精神的に来るものがあったし、成長もできたと思う。賜杯も夢だったし、優勝を目指していたけど、得るものはわからなかった。今回の経験の方が必ず今後に生きると思う。

-先場所の千秋楽を「情けない相撲」というが、それが今場所につながったか

貴景勝 あれが本当に活力になった。取組終わって支度部屋で座っていて、大事なところで力を発揮できなかった、情けない気持ちで。「早く次の場所で挽回したい。初日を迎えたい」と思った。3月場所まで短かったけど、それを長く感じた。

-あの取組で右足の裏を負傷したが

貴景勝 負けた悔しさもあったし、ああいう情けない相撲をとったからケガにつながった。相撲とるだけが稽古じゃない。瞬発力を取り戻すために基礎からもう1度と思ってやってきた。

-大関は看板力士。周囲の見る目も変わる。人としてどういう風に

貴景勝 自分のポリシーですが、力士は他のスポーツ選手と違う。昔からの伝統をしっかり重んじなければ、と思う。昭和の力士、先輩方のマネする部分はしっかりマネしていきたい。それをあまり言葉でなく、土俵で見せる力士になるべきだと思う。まず強くならないと。そういう考えを持ちながら、強い大関、もっともっと強くなりたいと思う。

-優勝した昨年九州から3場所の躍進をどうとらえているか

貴景勝 その要因は昨年の大阪場所と思う。今までの食事の取り方、ケアに対する甘さではダメだと思って、変えた。それが半年後に少し出たかもしれない。まあ小学校からやってきたことが生きたかもしれない。そこは自分でもわからないけど、昨年のケガが大きかったことは間違いない。

-全勝優勝した白鵬との距離をどう感じているか

貴景勝 それはもう経験も違うし、実力も違う。でも“対誰か”じゃなくて、自分が実力を上げること、強くなって少しでも近づきたい。

-「土俵で見せる」と言ったが、どんなことを伝えたいか

貴景勝 それを言っちゃうと、土俵で見せる前に、となるので言わない方が。

-先代の師匠(元横綱貴乃花親方)には

貴景勝 正式に(昇進が)決まったら(連絡をとろう)と思っています。

-常々「体が大きくないから」と言っている。それで貫いてきたことはあるか

貴景勝 ものすごくコンプレックスに感じる部分と、感じない部分の2つ持つことが大事だと思っている。「体が小さいから、どういう相撲をとれば」と感じなければ、相撲はとれない。小さいから小さいなりの相撲をとっていくしかない、というマイナスの部分と、小さいから何ができるか、逆に小さいからこそ相手より勝れるとことがあるんじゃないか、とプラスにとらえる部分。その2つを持ち合わせることで、小学校から相撲をとってきた。昔が大きくて、今が小さいのでなく、小学校の頃から小さかったので「大きな相撲」はとれず、ずっと「小さい相撲」をとっている。瞬発力とか、小さい人が(大きい人に)勝れる部分でやってきた。

-父親(一哉さん)が小さな頃からサポートしてきたと思うが、その父親に

貴景勝 小さな頃からの目標、目指す人が父親だったんで、感謝している。父親がいなかったら、こんなに相撲に夢中になることもなかった。母親(純子さん)も体を大きくするために、一生懸命食事を作ってくれた。どの家庭でもそうでしょうが、両親に感謝したいです。