元球児の志摩ノ海「勝って」母校明徳義塾へエール

バットを持ったポーズで母校の明徳義塾高を応援する志摩ノ海(撮影・佐藤礼征)

大相撲の前頭志摩ノ海(30=木瀬)が、甲子園に出場する母校、高知代表の明徳義塾高の活躍を願った。7日、埼玉・秩父市で行われた夏巡業に参加。8日に初戦を迎える後輩たちへ「やっぱり頑張ってほしいし、勝ってほしい」とエールを送った。自身は相撲部だったが、三重・志摩市立和具中時代は野球部に所属。「ポジションはファーストで体重は130キロくらいの、当たれば飛ぶタイプだった」。相撲道場に通うことに軸足を置き、野球部では試合に出場せず練習に参加するだけだったが、かつて白球を追った身として甲子園常連の母校の成績は常に気に掛けているという。

野球部との接点はほとんどないが、直近で“馬淵ジュニア”に刺激を受けた。野球部の馬淵史郎監督の息子で、当時主将だった烈さんは同級生。志摩ノ海も相撲部の主将を務め、同校を代表する部活動の主将同士だった。十両優勝した初場所の祝勝会で、駆け付けてくれた烈さんに卒業以来初めて顔を合わせた。「たわいのない会話だけど『最近どうしてるの?』とか話した。懐かしかったし、拓大のコーチをやっているらしくて、今も野球に携わっているんだなって。頑張っているなと思った」。

名古屋場所前には知人の明徳義塾高OBに紹介された居酒屋で、92年に星稜高の松井秀喜氏を5打席連続で敬遠した当時のエース河野和洋さんと偶然の対面。「びっくりした。『松井を敬遠したときのピッチャーだぞ』って言われて『もちろん知ってます』と。とても面白い人でした」。卒業後も広がる明徳の輪に、母校の偉大さを感じた。

そんな母校に負けじと、19年は快進撃を続けている。2場所連続の十両優勝を果たし、新入幕の夏場所では10勝を挙げて敢闘賞を受賞。名古屋場所でも勝ち越しを決めて、千秋楽では是より三役も経験した。秋場所(9月8日初日、東京・両国国技館)では、上位陣との対戦も予想される。「やっぱり上は強い。その中でいかに自分の相撲を貫けるかだと思う」。課題は序盤戦の弱さ。ここ数場所は中盤戦以降、尻上がりに調子を上げる場所が目立っているだけに「最初から持っていけたらいい」と力を込めた。粘り強い“馬淵野球”ばりのしぶといおっつけを武器に、自己最高位を更新し続ける。