<大相撲名古屋場所>◇4日目◇12日◇ドルフィンズアリーナ
初日から休場していた霧島(27=陸奥)が、大関として、さらには霧馬山から改名後、初白星を挙げた。難敵の小結琴ノ若を送り出した。初日の9日に「右肋骨(ろっこつ)骨挫傷で約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出し、3日目まで休場。背中の激しい痛みで一時はほとんど動けなかったが、軽快な動きで快勝した。この日から休場した横綱照ノ富士と、入れ替わるように途中出場した最初の一番で、看板力士の存在感を示した。
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朝稽古で施していた、おびただしい数のテーピングとの決別が、覚悟の証しだった。「ケガは治した」。霧島が自らに言い聞かせて臨んだ立ち合いは、番付を駆け上がっていった、先場所までと変わらない鋭さ。1度は琴ノ若に突き起こされたが、逃げずに前に出て2本差し。たまらず小手に振ってきた相手に体を密着させ、体勢を崩したところを送り出し。軽快な動きも土俵際の柔らかさも健在だった。持ち味を発揮した大関初白星だった。
支度部屋に戻ると開口一番「良かったと思う」と、合格点をつけた。背中に激痛が走り、わずか5日前の夜には「起き上がるのも時間がかかった。ものも拾えない」と、ほとんど体は動かなかった。師匠の陸奥親方(元大関霧島)も「普通なら全休。(8月の)巡業も休んで治療に専念と場所前は思っていた」と覚悟。そこから痛み止めの飲み薬と座薬で劇的に回復した。
もともと厳しい自然と共存してきたモンゴルの遊牧民で、幼少から「馬から落ちても大きなケガはなかった」というほど体は強かった。それにも増して初日から3日間、会場からほど近い名古屋市の部屋宿舎で、ライバルたちが熱戦を繰り広げる様子をテレビ観戦し奮起。「そこに自分がいないことが悔しかった」。そんな負けん気の強さが、テーピングを外し「やっと土俵に立てる」と、復帰の一番に臨む決意に表れた。
尊敬する師匠のしこ名を継ぎ、取組前に「大関、霧島」と呼び上げられると、表情が引き締まった。「初めてだし、そこで少し緊張した」。くしくも対戦した琴ノ若も、父で師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇)のしこ名を継いだ2代目。互いの師匠同士が対戦した95年初場所以来、28年ぶりの対戦(当時は琴の若)だった。
この日から照ノ富士が休場、初日から休場の大関貴景勝とともに再出場はない見込みで、今後は全て結びの一番となる。ただどんな状況でも思いは同じ。「応援してくれる人のため」。看板力士の自覚はすでに十分ある。【高田文太】