曙さん最後の別れに元高見盛、新日本プロレス永田裕志ら駆けつける 元貴乃花は2日間とも姿なし

関係者に運ばれる曙さんの棺(撮影・滝沢徹郎)

大相撲で史上初の外国出身横綱となった曙太郎さんの告別式にあたる葬儀が15日、都内の斎場で営まれた。曙さんは今月上旬、都内の病院で心不全のため54歳で死去。前日14日の通夜にあたる葬儀に続き、日本と出身の米ハワイ、双方の様式で営まれた葬儀には約100人が参列した。東関部屋で弟弟子だった東関親方(元小結高見盛)やプロレスラーの永田裕志、タレントのデーブ・スペクターらが駆けつけ、故人をしのんだ。

2人の息子らの手によって棺が霊きゅう車に運ばれると、前日から気丈に振る舞っていたクリスティーン麗子夫人は、遺影を手に目頭を押さえた。午後0時27分にクラクションが鳴らされ、霊きゅう車が火葬場に向けて出発すると、参列者は両手を合わせたり、涙をぬぐったりしながら、故人との別れを惜しんだ。前日に続き、大相撲で最大のライバルだった、元横綱貴乃花の花田光司氏は、この日も姿を見せなかった。斎場関係者によると、時間外にも弔問には訪れていないという。

棺を乗せた霊きゅう車の出発に際しては、日本でハワイ文化を伝える活動を続ける、歌手のカーラニ・ポーマイヘアラニさん(75)が、ハワイの言葉で独唱し、送り出した。曲名は「ノーライラホッイ」で、ポーマイヘアラニさんによると「神さまよろしく」などの意味がある歌で「横綱だけではなく、その家族や弔問客に向けて歌った」という。

また、弔問した永田は新日本プロレスで1度、シングルで対戦した当時を振り返り「2007年のG1クライマックスの初戦で、横綱から首が吹っ飛ぶんじゃないかという強烈なビンタを浴びて、お客さんがものすごく沸いたのを覚えている。横綱はそれがうれしかったみたいで、後に『永田さん、プロレスって楽しいね』と言っていたのをよく覚えている」と、懐かしそうに話した。また「7年間も闘病して大変だったと思う。ゆっくり休んでほしい」と、悲しみをこらえて話していた。